# カントの実践理性批判を深く理解するための背景知識
カントの生涯と時代背景
イマヌエル・カント(1724-1804)は、プロイセン王国のケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)で生まれ育った哲学者です。彼は敬虔なプロテスタントの家庭に生まれ、生涯ケーニヒスベルクを離れることはありませんでした。カントはケーニヒスベルク大学で哲学、数学、物理学などを学び、その後、長年にわたって同大学で教鞭を執りました。彼の生涯は、啓蒙主義と呼ばれるヨーロッパ思想史上の大きな転換期と重なります。啓蒙主義は、理性と経験に基づいて、伝統や権威に疑問を投げかけ、人間の自由と幸福を追求する運動でした。カントの哲学は、この啓蒙主義の精神を色濃く反映しており、理性による人間の自律と道徳の確立を目指しています。
カントの哲学体系における実践理性批判の位置づけ
カントの主著である「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」は、それぞれ認識能力、実践能力、美的判断力・目的論的判断力を考察対象としています。これらのうち、「実践理性批判」(1788年)は、人間の道徳的な行為の根拠と原理を探求する著作です。カントは、人間には自由意志に基づいて道徳法則に従って行為する能力があると主張し、その能力を「実践理性」と呼びました。「純粋理性批判」では、人間の認識能力の限界を明らかにしましたが、「実践理性批判」では、認識能力の限界を超えて、自由と道徳という領域における理性の働きを解明しようとしたのです。
実践理性批判の主要な概念
善意志
カントは、道徳的に善い行為とは、結果ではなく、行為の動機によって決まるものだと考えました。そして、唯一無条件に善いものとして「善意志」を挙げます。善意志とは、道徳法則に従って行為しようとする意志のことです。たとえ行為の結果が悪かったとしても、善意志に基づいて行為したのであれば、その行為は道徳的に善いと言えます。
義務
カントは、道徳法則に従うことは、人間の義務であると考えました。義務とは、理性によって認識される道徳法則に従って行為することへの必然的な要請です。義務には、自己に対する義務と他人に対する義務の二つがあります。
格率
格率とは、個々の行為の主観的な原理です。例えば、「困っている人がいたら助ける」といったものが格率です。カントは、道徳的な行為とは、格率が道徳法則と一致する行為であると考えました。
定言命法
定言命法とは、無条件に、つまりどのような状況においても妥当する道徳法則です。カントは、定言命法を次のように定式化しました。
* 第一定式化:「あなたの格率が、あなたの意志を通して普遍的な法則となることを、あなた自身が同時に望みうるような格率に従ってのみ行為せよ。」
* 第二定式化:「人間とその人格性を、決して単に手段としてのみ用いるのではなく、同時に目的としても用いるように行為せよ。」
* 第三定式化:「理性的存在者の意志のあらゆる格率は、あたかもそれ自体が普遍的な立法の原理となるかのように、自分自身を普遍的な立法者としてみなして、自ら立てられた格率に従って行為せよ。」
これらの定式化は、それぞれ異なる側面から道徳法則を表現しています。
自由
カントは、道徳的な行為は自由意志に基づくものだと考えました。自由とは、因果律に支配されないで、自ら法則を立て、それに従って行為する能力です。カントは、自由は現象界ではなく、物自体界に属するものだと考えました。
カント以前の倫理思想
カントの倫理思想は、それ以前の倫理思想、特に経験主義的な倫理思想に対する批判から生まれています。経験主義的な倫理思想は、人間の道徳的な行為は、快楽の追求や苦痛の回避といった経験に基づくものだと考えます。しかし、カントは、経験は主観的で偶然的なものであり、普遍的な道徳法則の根拠にはなりえないと批判しました。カントは、道徳法則は、理性によってアプリオリに認識されるものだと主張しました。
実践理性批判の影響
カントの「実践理性批判」は、その後の倫理思想に大きな影響を与えました。特に、義務論、道徳的普遍主義、人格の尊厳といった概念は、カントの思想から生まれたものです。また、カントの思想は、現代社会における人権思想や法哲学にも大きな影響を与えています。
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