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ディルタイの精神科学序説のメッセージ

## ディルタイの精神科学序説のメッセージ

### 精神科学の基礎づけを目指して

ディルタイの『精神科学序説』は、自然科学の隆盛に対抗し、歴史や文化を対象とする精神科学の独自の基礎づけを目指した著作です。当時の学問界は、自然科学的方法の成功に基づき、あらゆる学問は自然科学にならうべきだという考え方が主流になりつつありました。ディルタイはこのような考え方に危機感を抱き、人間の精神や文化を扱う精神科学には、自然科学とは異なる独自の方法が必要だと主張しました。

### Erlebnis(経験)と理解

ディルタイは、自然科学が客観的な法則の発見を目指すのに対し、精神科学は人間の内的経験である **Erlebnis(経験)** の理解を目指すと考えました。私たちは世界を感覚器官を通じて認識しますが、このとき世界は単なる物理的な現象ではなく、喜びや悲しみ、希望や不安といった感情や意味を伴って体験されます。ディルタイは、このような主観的な **Erlebnis** こそが精神科学の対象となると考えたのです。

そして、この **Erlebnis** を理解する方法としてディルタイが提唱したのが **「理解」** です。理解とは、他者の **Erlebnis** に共感し、それを自身の内面で追体験することによって、その意味内容を把握することです。ディルタイは、歴史的資料や文学作品などの表現物を分析し、そこに込められた作者の **Erlebnis** を理解することによって、人間精神の世界を解明できると考えました。

### 生命表現と解釈学

ディルタイは、 **Erlebnis** は人間の活動を通して客観化されると考えました。絵画、音楽、文学作品、制度、行動様式など、人間の活動によって生み出されたものはすべて、人間の内的経験が表現されたもの、すなわち **「生命表現」** であると捉えたのです。

そして、この生命表現を解釈し、そこに込められた **Erlebnis** を理解する方法として **「解釈学」** を重視しました。解釈学とは、テキストや作品などの意味を解釈する学問ですが、ディルタイは解釈学を単なるテクニックではなく、人間存在の根本に関わる方法として捉え直しました。つまり、人間は生命表現を通して自己を理解し、他者とコミュニケーションをとる存在であるため、解釈学は人間存在の根幹をなす方法だと言えます。

### 歴史性と相対主義

ディルタイは、人間の **Erlebnis** は歴史的・文化的背景に規定されると考えました。私たちは特定の時代や社会に生まれ、その時代の価値観や思想の影響を受けながら生きています。そのため、 **Erlebnis** の理解には、その時代背景や文化的文脈を考慮することが不可欠となります。

このような歴史性への着目は、相対主義という問題を提起しました。つまり、あらゆる理解は解釈者の歴史的立場に規定されるため、客観的な真理や普遍的な価値判断は不可能なのではないか、という問題です。ディルタイ自身はこの問題に対する明確な答えを出していませんが、彼の思想は後の相対主義論争に大きな影響を与えました。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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