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ベルクソンの時間と自由の対極

ベルクソンの時間と自由の対極

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ベルクソンの時間論

アンリ・ベルクソンの主著『時間と自由』 (1889年) における時間論は、当時支配的であった自然科学的な時間観を批判し、人間の自由意志や創造性を擁護するために展開されました。ベルクソンは、自然科学が扱う時間は空間化された、均質で可逆的なものであり、真の時間である「 durée (持続)」を捉えきれていないと主張しました。

ベルクソンによれば、「 durée 」は質的に異なり、不可逆的に流動するものであり、私たちの意識体験の根底に流れているものです。
「 durée 」は絶えず変化し、創造していくものであり、過去は現在の中に生き続け、未来の可能性を孕んでいます。

ベルクソンはこの「 durée 」を真の時間と捉え、人間の自由意志や創造性の根拠としました。 彼によれば、自由な行為とは、過去の経験や習慣に規定された機械的なものではなく、「 durée 」の流動性の中に、常に新しいものを創造していく行為です。

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対極に位置する歴史的名著

ベルクソンの「時間と自由」の対極に位置する歴史的名著としては、アイザック・ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)(1687年) が挙げられます。

ニュートンのプリンキピアは、古典力学の基礎を築き、近代科学の出発点となった書物です。
この著作においてニュートンは、絶対時間と絶対空間という概念を提示しました。
ニュートンにとって時間は、あらゆる物体の運動とは無関係に、それ自体として一様に流れるものであり、空間は、あらゆる物体を含むひとつの無限の広がりとして存在するものでした。

このニュートン力学の時間観は、客観的で、均質であり、可逆的なものです。
プリンキピアは、自然現象を数学的に記述し、予測することを可能にすることで、近代科学の発展に大きく貢献しました。

ベルクソンは、このニュートン力学的な時間観を「空間化された時間」と批判し、人間の意識体験に基づく「 durée 」こそが真の時間であると主張したのです。

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