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フロイトの夢判断の対極

フロイトの夢判断の対極

アラン「夢判断」における意識の復権

フロイトの「夢判断」が夢を無意識の表れとして捉え、その解釈に力点を置いたのに対し、フランスの哲学者アランは、1926年に発表した著書「夢判断」の中で、フロイトとは全く異なる視点から夢にアプローチしました。アランは、夢を「意識の産物」とみなし、夢を通して我々は自身の意識の働きをより深く理解できると主張しました。

夢は「想像力の投影」

アランは、夢を「想像力の投影」と捉えました。彼によれば、夢は現実の束縛から解放された意識が、自由にイメージを創造し、展開していく場であるといいます。夢の中では、時間や空間、因果関係といった制約は無視され、意識は奔放に活動します。アランは、この自由な想像力の働きこそが、夢の本質であると考えました。

「意識の劇場」としての夢

アランは、夢を「意識の劇場」と表現しました。夢の中では、意識自身が脚本を書き、演出を行い、様々な役割を演じているというのです。登場人物や舞台設定は、過去の経験や記憶、感情などが素材となり、意識によって自由に組み合わせられ、物語が紡ぎ出されます。アランは、夢を分析することで、自身の意識の傾向や深層心理を理解できるとしました。

夢の解釈よりも「夢を見る意識」に注目

アランは、フロイトのように夢を解釈することにはあまり重点を置きませんでした。彼にとって重要なのは、夢そのものではなく、「夢を見ている意識」そのものでした。アランは、夢を通して、意識の自主性、創造性、自由といった側面を浮き彫りにしようとしました。彼は、夢は我々が自身の意識の力を再認識するための貴重な機会を提供してくれると考えたのです。

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