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ソローの市民不服従の対極

ソローの市民不服従の対極

プラトンの「クリトン」における法への絶対的服従

ソローの「市民不服従」は、個人の良心と道徳的判断に基づき、不当な法律や政府の政策に対して抵抗する権利を強く主張する作品です。一方、プラトンの対話篇「クリトン」は、主人公ソクラテスを通して、法への絶対的な服従を説くことで、ソローの思想と明確な対比をなしています。

「クリトン」は、ソクラテスが不敬虔の罪で死刑判決を受け、牢獄で死を待つばかりという場面から始まります。そこに、親友のクリトンが訪れ、脱獄を勧めます。しかし、ソクラテスは、たとえそれが不当なものであっても、法に従うことが市民としての義務だと主張し、クリトンの申し出を拒否します。

ソクラテスは、法への不服従は国家全体の秩序を崩壊させ、無政府状態をもたらすと考えます。彼は、市民は国家との間に暗黙の契約を結んでおり、法に従うことと引き換えに、国家の保護や様々な恩恵を受けていると主張します。たとえ法が不当であっても、それに従うことで国家への恩義を果たすことが重要だと考えます。

ソクラテスは、法を破ることによって、自分自身の正義や道徳を貫くことはできないと主張します。彼は、真の正義は法に従うことを通して実現されると考えます。クリトンとの対話を通して、ソクラテスは法への絶対的な服従こそが、市民としての最高の美徳であると結論づけます。

「市民不服従」と「クリトン」は、法と個人の関係、正義と道徳のあり方について、全く異なる視点を提示しています。ソローは、個人の良心を重視し、不当な法に抵抗する権利を主張しますが、プラトンは、法への絶対的な服従こそが、社会の秩序と正義を守るために不可欠だと考えます.

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