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カントの純粋理性批判の対極

## カントの純粋理性批判の対極

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経験主義を代表する名著:デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』

イマヌエル・カントの『純粋理性批判』は、人間の理性とその限界を深く探求した、西洋哲学史における金字塔と言えるでしょう。彼は、人間の認識能力には限界があり、経験を超越した形而上学的な知識は得られないと主張しました。この立場は、経験を通してのみ知識が得られるとする**経験主義**と対照的です。そして、経験主義を代表する歴史的名著として、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』が挙げられます。

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ヒュームの主張:理性ではなく、習慣が信念を形成する

ヒュームは、『人間本性論』の中で、人間のあらゆる知識の源泉は経験であると主張しました。彼は、人間の精神を「知覚」の集合体として捉え、知覚は「印象」と「観念」の二つに分類できるとしました。「印象」は感覚や感情など、直接的に経験される鮮明な知覚を指し、「観念」は「印象」を思い起こしたり、組み合わせたりすることで生まれる、よりぼんやりとした知覚を指します。

ヒュームは、因果関係や実体といった、我々が当然のように考えている概念も、経験に基づいて形成されたものに過ぎないと主張しました。例えば、ビリヤードの球を例に挙げ、我々は白い球が赤い球に衝突した後、赤い球が動くのを何度も経験することで、両者の間に因果関係があると「感じる」ようになる、と説明しました。しかし、実際に因果関係を「見ている」わけではなく、経験から習慣的に結びつけて考えているに過ぎない、とヒュームは指摘しました。

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懐疑主義と自然主義:ヒューム哲学の二つの側面

このように、ヒュームは人間の理性に対する懐疑的な立場を取っていました。彼は、理性は経験に基づく信念を体系化する役割は果たすが、経験を超えた知識を生み出すことはできないと主張しました。このヒュームの立場は、当時の形而上学や宗教に対する批判として受け止められました。

一方で、ヒュームは人間の認知能力や道徳感情についても、自然科学的な視点から分析を試みました。彼は、人間の行動は理性よりもむしろ、感情や情熱によって大きく影響されると考えました。そして、道徳判断の根拠も、理性ではなく、共感や共苦といった人間に生来備わっている感情に求めました。

このように、ヒュームの哲学は、理性への懐疑と自然主義の二つを両輪として展開されました。彼の思想は、その後のイギリス経験論や道徳哲学に大きな影響を与え、現代の認知科学や心の哲学にも繋がる重要な問題提起を含んでいます。

『純粋理性批判』と『人間本性論』は、一見対照的な立場を取るように見えます。しかし、どちらも人間の理性とその限界を探求するという点で共通しており、西洋哲学史における重要な問いを私たちに投げかけていると言えるでしょう。

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