## ハイデガーの存在と時間の力
###
**現象学への回帰と伝統的形而上学の克服**
『存在と時間』は、伝統的な形而上学が「存在」の意味を忘却してきたと批判し、それを克服しようとする試みです。ハイデガーは、デカルト以来の近代哲学が、意識や主観を基盤として世界を理解しようとしてきたことを問題視します。彼によれば、このような立場では、人間と世界の根源的な関わりが見失われ、存在の意味が解明されないままにされてしまうのです。
そこでハイデガーは、フッサールの現象学を手がかりに、「事物それ自体」へと立ち返り、存在の意味を問い直そうとします。現象学とは、「現れているもの」をそのままに記述する方法であり、先入観や偏見を排して、事物がどのように現れているのかを明らかにしようとする態度です。ハイデガーは、この現象学的方法を用いることで、存在の意味を隠蔽してきた伝統的な形而上学の枠組みを解体し、新たな存在理解を切り開こうとしたのです。
###
**現存在と世界内存在**
ハイデガーは、人間の存在を「現存在」（Dasein）と呼びます。現存在は、単なる客観的な存在者ではなく、常に世界と関わりながら存在する存在です。私たちは、世界の中に「投げ込まれて」おり、世界の中で様々な「関心」や「配慮」を持って生きています。
ハイデガーは、このような現存在のあり方を「世界内存在」（In-der-Welt-sein）と呼びます。世界内存在は、現存在が世界から独立した存在ではなく、常に世界と一体となって存在していることを示しています。私たちは、世界の中で道具を用い、他者と関わり、様々な活動を通して世界を「了解」しています。この世界了解は、言語、文化、歴史などによって規定されており、現存在は、常に特定の世界了解の中で生きているのです。
###
**時間性と歴史性**
『存在と時間』において、ハイデガーは、時間の問題を深く掘り下げています。彼は、伝統的な形而上学が時間を空間化し、客観的なものとして捉えてきたことを批判します。ハイデガーによれば、時間は、現存在のあり方そのものと深く結びついているのです。
現存在は、常に未来へと「先駆」し、過去から「到来」し、現在において「自己」と「対峙」しています。私たちは、未来への不安や期待を抱きながら、過去の経験や伝統を引きずり、現在において自己のあり方を問い直しています。このように、現存在は、過去・現在・未来という時間の三つの次元を統一的に生きているのであり、ハイデガーは、これを「時間性」（Zeitlichkeit）と呼びます。
さらに、ハイデガーは、時間性と歴史性の問題にも目を向けます。現存在は、常に特定の歴史的な状況の中に置かれており、その歴史的な状況によって規定されています。私たちは、先人たちの思想や文化を継承し、その上に立って生きています。このように、現存在は、歴史的に形成された存在であり、歴史と切り離して考えることはできません。
###
**『存在と時間』の影響と課題**
『存在と時間』は、20世紀の哲学に多大な影響を与え、現象学、実存主義、解釈学、ポスト構造主義など、様々な分野に影響を与えました。サルトル、メルロ＝ポンティ、ガダマー、デリダ、フーコーなど、多くの思想家が、ハイデガーの思想から影響を受けています。
しかし、『存在と時間』は、難解な文章で書かれており、その解釈をめぐっては、現在も多くの議論が交わされています。また、ハイデガー自身、ナチスへの加担など、その思想と行動には問題点が指摘されています。
このように、『存在と時間』は、多くの課題を残しているのも事実です。しかし、その思想は、現代社会においても重要な示唆を与え続けており、人間の存在と世界の関係について、深く考えさせる力を持っています。