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ラサールの労働者綱領の世界

## ラサールの労働者綱領の世界

ラサールと彼の時代背景

フェルディナント・ラサール(1825-1864)は、19世紀ドイツの社会主義者、政治家、思想家です。彼は、マルクスやエンゲルスと同時代に生き、ドイツ労働者階級の解放を目指して活動しました。当時のドイツは、産業革命が遅れて始まったものの、急速な工業化と都市化が進展し、資本主義が台頭していました。しかし、その一方で、農村から都市に流入した労働者は劣悪な労働環境に置かれ、貧困や社会不安が広がっていました。

労働者綱領の内容

ラサールは、こうした社会状況を背景に、1862年に「労働者綱領」を発表しました。この文書は、プロイセン王国憲法制定議会選挙に向けて書かれたもので、ラサールの政治思想のエッセンスが凝縮されています。労働者綱領は、以下の3つの主要な主張から構成されています。

1. **普通選挙の実現**: ラサールは、当時のプロイセン憲法下では、労働者階級に選挙権が制限されており、政治的な発言力が著しく制限されていることを批判しました。彼は、すべての成人男性に選挙権を与える普通選挙の実現こそが、労働者階級が政治的に解放されるための第一歩であると主張しました。
2. **国家による生産組合の設立**: ラサールは、自由競争に基づく資本主義経済では、労働者は常に資本家に搾取され続けると考えました。彼は、国家が介入し、労働者が共同で所有・運営する生産組合を設立することで、労働者が生産手段を所有し、搾取のない社会を実現できると主張しました。
3. **国家による労働者保護**: ラサールは、国家は労働者階級の生活水準の向上と権利の保護に積極的に関与すべきであると主張しました。具体的には、労働時間の制限、最低賃金の導入、労働災害に対する補償などの政策を提唱しました。

ラサールの思想の特徴

ラサールの思想は、マルクス主義とはいくつかの点で異なっています。

* **国家観**: ラサールは、国家を労働者階級の解放のための重要な手段と見なしていました。彼は、国家が積極的に経済活動に介入することで、労働者階級の社会的地位を向上させ、最終的には社会主義を実現できると考えました。一方、マルクスは、国家を支配階級の利益を守るための道具と見なし、真の社会主義社会を実現するためには、国家そのものを消滅させる必要があると考えていました。
* **階級闘争**: ラサールは、階級闘争の重要性を認識していましたが、マルクスのような徹底した階級闘争論者ではありませんでした。彼は、労働者階級と資本家階級の対立は、国家の介入によって調停することが可能であると考えていました。一方、マルクスは、階級闘争こそが歴史の原動力であり、資本主義社会の矛盾を解決するためには、労働者階級が資本家階級を打倒するプロレタリア革命が不可避であると考えていました。
* **革命**: ラサールは、暴力革命ではなく、選挙などの合法的な手段を通じて社会主義を実現することを目指していました。彼は、普通選挙の実現によって労働者階級が議会で多数派を占めれば、平和裡に社会主義社会を実現できると考えていました。一方、マルクスは、資本家階級が既得権益を手放すことはないと考え、暴力革命の必要性を主張しました。

ラサールの影響

ラサールの思想は、当時のドイツ労働者階級に大きな影響を与えました。彼は、1863年にドイツ全土の労働組合を結集して「全ドイツ労働者協会」を結成し、労働運動の発展に貢献しました。しかし、彼は1864年に決闘によって39歳の若さで亡くなりました。

ラサールの死後、ドイツ労働運動は、ラサール派とマルクス派に分裂し、激しく対立しました。その後、1875年に両派は統合してドイツ社会民主党(SPD)を結成しますが、ラサールの思想は、SPDの綱領や政策に一定の影響を与え続けました。特に、国家による社会福祉政策の推進など、現実的な改革を通じて労働者の生活水準を向上させようとするラサールの姿勢は、後の社会民主主義運動に大きな影響を与えました。

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