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シュミットの憲法理論の原点

シュミットの憲法理論の原点

ワイマール憲法体制への批判

カール・シュミットは、ワイマール共和国期のドイツにおいて、その不安定な政治状況を背景に独自の憲法理論を展開しました。彼は、ワイマール憲法の抱える問題点を鋭く指摘し、その根本的な原因を追求しました。

政治的なものの概念

シュミットの憲法理論の中核をなすのが、「政治的なもの」という概念です。彼は、政治の本質を「敵」と「味方」の区別、すなわち、究極的には「生存」をかけた闘争として捉えました。この考え方は、当時のドイツ社会における左右対立の激化や、第一次世界大戦の敗北体験を色濃く反映しています。

議会制民主主義への懐疑

シュミットは、ワイマール憲法体制下における議会制民主主義の機能不全を厳しく批判しました。彼は、議会が政党間の利害調整の場と化し、国民全体の意思を反映できていないと主張しました。また、多数決の原理は、単なる数の論理にすぎず、真の政治的意思決定を導き出すことはできないと断じました。

立憲主義と民主主義の分離

シュミットは、従来の立憲主義と民主主義を明確に区別しました。彼は、立憲主義を、法の支配や人権保障といった理念に基づき、国家権力を制限することを目的とするものと定義しました。一方、民主主義は、国民の意思に基づいて政治を行うことを意味するとしました。シュミットは、ワイマール憲法が、この両者を安易に結びつけたことが、混乱を招いた原因だと考えました。

主権概念の再定義

シュミットは、国家の最高決定権としての主権を重視しました。彼は、ワイマール憲法が、主権概念を曖昧にしたまま、様々な国家機関に権限を分散させたことが、政治の不安定化につながったと批判しました。そして、真の主権者は、例外状態においても最終的な意思決定を行うことができる存在でなければならないと主張しました。

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