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カルヴァンのキリスト教綱要の原点

カルヴァンのキリスト教綱要の原点

宗教改革と当時の社会状況

16世紀初頭、ヨーロッパはカトリック教会の権威が揺らぎ、宗教改革の嵐が吹き荒れる時代でした。マルティン・ルターによる95ヶ条の論題の掲示(1517年)をきっかけに、教会の腐敗や教義の解釈などを巡る議論が巻き起こり、各地で宗教改革運動が展開されました。

カルヴァンの生い立ちと初期の影響

ジャン・カルヴァンは1509年、フランスのノヨンに生まれました。
当時のフランスはカトリックの国でしたが、ルターの影響を受けた宗教改革の思想が浸透しつつありました。
カルヴァン自身も、パリ大学で神学を学ぶ中で、エラスムスやルターなどの思想に触れ、大きな影響を受けたとされています。

最初の版の出版 (1536年)

1536年、カルヴァンは26歳の若さで「キリスト教綱要」の初版を出版しました。
この初版は、後の版に比べてかなり短いものでしたが、すでにカルヴァン独特の神学体系、特に神の絶対的主権と予定説の概念が明確に示されていました。
また、この書は単なる神学書ではなく、当時のフランス国王フランソワ1世に対し、迫害されているプロテスタントの保護を訴えるという政治的な目的も持っていました。

改訂作業と最終版 (1559年)

カルヴァンはその後も「キリスト教綱要」の改訂を続け、内容を充実させていきました。
特に、ジュネーブでの宗教改革の実践を通して、教会論や聖書解釈、教会政治などに関する記述が加筆されていきました。
最終的に1559年に出版された版は、初版の5倍以上の分量に達し、カルヴァン神学の集大成といえる内容となっています。

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