30代のためのプラトン「メノン」
徳は教えられるか
ソクラテスとメノンとの対話である「メノン」の中心的な問いは、「徳は教えられるのか」ということです。この問いは、一見哲学的な命題のように見えますが、30代を迎えるにあたって、人生における重要な選択や責任を担う機会が増える中で、自らの人生をどのように生きていくべきか、という実践的な問いへと姿を変えます。プラトンは、この対話の中で、徳とは何か、どのようにして徳を身につけることができるのか、といった問いを探求しています。
無知の知
「メノン」では、ソクラテスがメノンに徳の定義を問いかける場面が登場します。メノンは様々な定義を提示しますが、ソクラテスはそれらを論理的に反駁し、メノンは最終的に自分が徳について何も知らないということに気づきます。これは、「無知の知」と呼ばれるソクラテスの重要な思想を示す場面です。30代は、社会経験や知識が蓄積され、自信を持つ一方で、自分の無知に気づく機会も増える時期です。ソクラテスとメノンの対話は、自分が知っていると思っていることについて、改めて問い直すことの重要性を示唆しています。真の知に至るためには、まず自分が無知であることを自覚することが必要なのです。
想起説
「メノン」では、徳は教えられるのかという問いに対して、ソクラテスは「想起説」を提示します。これは、私たちの魂は生まれる前からすべての知識を持っており、学ぶということは、すでに知っていることを思い出すことであるという考え方です。ソクラテスは、幾何学の問題を解く奴隷少年との問答を通して、この説を説明しています。少年は、ソクラテスの適切な問いかけによって、自ら幾何学の定理を導き出します。この場面は、私たちの中に潜在的に眠っている能力を引き出すことの可能性を示唆しています。30代は、キャリアや人生設計を見直す時期でもあります。過去の経験や学びを振り返り、自分の中に眠っている可能性を「想起」することで、新たな道が開けるかもしれません。
真の意見と知識
「メノン」では、真の意見と知識の違いについても議論されます。真の意見は、正しい内容を持っているとしても、その根拠が明確でないため、状況が変わると容易に変化してしまう可能性があります。一方、知識は、根拠づけられた確かな信念であり、状況が変わっても揺るぎません。ソクラテスは、真の意見を知識へと昇華させるためには、根拠づけを行う必要があると主張します。30代は、様々な情報に晒され、多くの意見に触れる機会が増えます。それらの情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に吟味し、自分自身の確かな知識へと転換していくことが重要です。「メノン」は、情報過多の現代社会を生き抜くための、確かな知識の重要性を示しています。
徳の実践
「メノン」の最後では、徳は知識であるならば教えられるはずだが、現実には徳のある指導者を見つけることは難しいという問題が提起されます。ソクラテスは、最終的な結論を保留したまま対話を終えます。これは、徳を身につけるための具体的な方法を示すのではなく、読者に自ら考え続けるように促していると考えられます。30代は、社会の中で指導的な立場を担う機会も増えてきます。徳とは何か、どのように実践していくべきかを問い続けることは、リーダーシップを発揮する上でも不可欠な要素と言えるでしょう。「メノン」を読むことで、徳の実践について深く考えるきっかけを得ることができるはずです。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。