## 20代のためのルター「キリスト者の自由」
20代が「キリスト者の自由」を読むべき理由
20代は、人生における様々な選択を迫られる時期です。進路、仕事、結婚、人間関係など、自分自身の人生をどのように生きていくのか、真剣に考え始める時期でもあります。そのような中で、ルターの「キリスト者の自由」を読むことは、20代の若者にとって、自分自身の人生をより深く理解し、主体的に生きていくための指針を与えてくれる可能性を秘めています。
「キリスト者の自由」とは何か
「キリスト者の自由」は、マルティン・ルターが1520年に発表した重要な著作です。この著作でルターは、人間は信仰のみによって義とされ、神の恵みによってのみ救われるという、彼の宗教改革における中心的な思想を明確にしています。そして、この信仰による義認という思想から、キリスト者はすべてにおいて自由であると同時に、すべてにおいて僕であるという、一見矛盾するようなキリスト者の自由の本質を論じています。
外的束縛からの自由:社会規範や権威からの解放
ルターは、「キリスト者の自由」において、キリスト者は外的束縛から自由であると述べています。これは、当時の社会において大きな力を持っていた教会や国家の権威、あるいは社会的な規範や慣習など、人間の外的行動を制限するあらゆるものからの解放を意味します。ルターは、これらの外的束縛は、人間の救済には何ら関係ないと主張しました。真の救済は、信仰のみによってのみもたらされるものであり、外的行為によって得られるものではないからです。
20代は、社会に出始めたばかりの時期であり、社会の様々な規範や慣習に直面する時期でもあります。周りの目を気にしたり、社会的な成功を求めて自分を押し殺したりしてしまうこともあるでしょう。しかし、「キリスト者の自由」を読むことで、20代の若者は、真の自由とは何か、自分にとって本当に大切なことは何かを改めて考え、社会的な圧力に屈することなく、自分らしく生きる勇気を得られるかもしれません。
内的束縛からの自由:罪と自己中心的思考からの解放
ルターは、キリスト者は外的束縛からのみならず、内的束縛からも自由であると述べています。この内的束縛とは、人間の罪や自己中心的思考のことを指します。ルターは、人間は生まれながらにして罪深く、自分の欲望や利益のみを追求する存在であるとしました。しかし、キリストの贖罪によって、人間はこの罪から解放され、神と隣人を愛することができるようになるのです。
20代は、自分自身の将来やキャリアについて悩み、不安を抱えやすい時期でもあります。自分の能力や才能に自信が持てなかったり、他者と比較して劣等感を抱いたりすることもあるでしょう。しかし、「キリスト者の自由」を読むことで、20代の若者は、自分自身の弱さや罪深さを認め、神に委ねることを学ぶことができます。そして、自己中心的思考から解放され、他者への愛と奉仕に生きる喜びを見出すことができるかもしれません。
すべてにおいて僕である自由:愛と奉仕による自己実現
ルターは、キリスト者はすべてにおいて自由であると同時に、すべてにおいて僕であると述べています。これは、キリスト者は外的束縛や内的束縛から解放された自由人であると同時に、神と隣人に仕える僕であるという意味です。ルターは、真の自由とは、自己中心的な欲望から解放され、愛と奉仕を通して神と隣人に仕えることであるとしました。
20代は、自分自身の人生をどのように生きていくのか、自分の存在意義や価値を見出そうとする時期でもあります。しかし、現代社会においては、個人の自由や権利が強調され、自己実現ばかりが追求される傾向があります。しかし、「キリスト者の自由」を読むことで、20代の若者は、真の自由とは、自己実現ではなく、他者への愛と奉仕を通して見出されるものであることを学ぶことができます。そして、自分自身の人生を、神と隣人に仕えるものとして捉え直し、より深い意味と喜びを見出すことができるかもしれません。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。