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20代のためのサルトル「存在と無」

20代のためのサルトル「存在と無」

20代が「存在と無」に出会う意味

20代は、人生における大きな転換期を迎える時期です。学生から社会人へと移行し、自立した生活を始める人もいれば、進学や留学など、新たな挑戦を始める人もいるでしょう。将来への不安や期待、自分自身への疑問など、様々な感情が渦巻く時期でもあります。こうした時期にこそ、サルトルの「存在と無」は、20代の心を深く揺さぶり、新たな視点を与えてくれる可能性を秘めています。

「存在と無」の中心テーマ:実存主義

「存在と無」は、実存主義と呼ばれる哲学を体系的に展開した書物です。実存主義は、人間の存在そのものに焦点を当て、人間は自由であり、その自由によって自己を形成していく存在であると主張します。言い換えれば、人間は生まれたときには何者でもなく(無)、自らの選択と行動によって、自らを規定していく(存在)という考え方です。

20代と「自由」の概念

20代は、まさに人生における選択の連続です。進路、仕事、恋愛、結婚など、様々な場面で自分自身で決断を下していかなければなりません。サルトルは、「人間は自由であることに呪われている」と述べています。自由であるということは、同時に責任を負うということでもあります。自分の選択によって未来が変わるという重圧は、時に大きな不安や苦悩をもたらすでしょう。しかし、サルトルは、その不安や苦悩こそが、人間が真に自由であることの証であると説きます。

「実存は本質に先立つ」ということ

サルトルは、「実存は本質に先立つ」という有名な命題を提唱しました。これは、人間にはあらかじめ決められた本質(例えば、ナイフには物を切るという本質があるように)はなく、まず存在し、その後に自らの行動によって本質を創造していくという意味です。20代は、まさに自分自身の「本質」を模索し、形成していく時期といえます。「存在と無」を読むことで、自分自身を規定するものは何か、自分はどう生きていきたいのかという問いを深く掘り下げ、主体的に人生を切り開いていくヒントを得られるかもしれません。

「他者」との関係

「存在と無」では、「他者」という概念も重要なテーマとして扱われています。サルトルは、他者の存在によって、自分自身が「対象」として見られることを意識し、自己の存在を脅かされるという「視線」の概念を提示しました。他者の視線は、時に自分自身を縛り付けるものとなりますが、同時に、自分自身を客観的に見つめ直し、成長を促すきっかけにもなりえます。20代は、社会との関わりの中で、様々な他者と出会い、影響を受けながら、自分自身を形成していく時期です。「存在と無」における他者論は、人間関係における葛藤や喜び、そして自己と他者の関係性を深く理解する上で、重要な示唆を与えてくれるでしょう。

「無意味」と「責任」

サルトルは、世界には本来、意味がないと主張しました。神のような超越的な存在によって与えられた意味はなく、人間自身が意味を創造していく必要があるのです。これは、一見すると虚無的な考え方に思えるかもしれません。しかし、裏を返せば、人間は無限の可能性を秘めているということでもあります。20代は、将来への不安や、人生の意味を見いだせないという虚無感に襲われることもあるでしょう。しかし、「存在と無」を読むことで、そのような虚無感こそが、自由の証であり、自分自身で人生の意味を創造していくための出発点であることを理解できるかもしれません。そして、その責任の重さを自覚することで、より主体的に人生と向き合っていくことができるでしょう。

「アンガージュマン」:社会との関わり

サルトルは、実存主義を単なる哲学的な思索にとどめず、社会的な行動、つまり「アンガージュマン」へと結びつけました。彼は、人間は自由であると同時に、社会的な責任を負う存在であると主張し、自らも積極的に社会運動に参加しました。20代は、社会に出始めたばかりで、社会に対してどのような責任を負うべきか、どのように関わっていくべきか迷うことも多いでしょう。「存在と無」におけるアンガージュマンの概念は、社会における自己の役割や責任について深く考え、主体的に社会に関わっていくための指針を与えてくれるかもしれません。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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