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終わりよければすべてよし:パロールの人物像

終わりよければすべてよし:パロールの人物像

シェイクスピアの戯曲「終わりよければすべてよし」に登場するパロールは、複雑で多面的な人物像を持つキャラクターです。彼は一見、卑劣で不誠実、そして口先だけの男として描かれています。しかし、彼の人物像を深く掘り下げてみると、シェイクスピアが描く人間性の複雑さと、当時の社会的背景に根差したキャラクター造形の巧みさが見えてきます。

パロールの社会的背景と野望

パロールは下層階級の出身でありながらも、社会的地位の向上を強く望んでいます。この野望は、彼の行動や発言の根底に流れており、彼が取る数々の策略や欺瞞は、自身の地位を上げるための手段として彼によって正当化されています。この点において、パロールは当時の社会における地位や名誉への渇望を象徴しているとも言えます。

口先だけの勇士としてのパロール

パロールは戯曲全体を通じて、勇敢さや名誉を強調する言葉を多用しながらも、実際の行動ではそれらの価値を体現することができないキャラクターとして描かれています。特に軍事的な場面では、彼の臆病さや本当の勇気の欠如が露呈します。このギャップが、彼の人物像に二面性をもたらし、観客や読者に強い印象を与えます。パロールのこの特徴は、見かけ倒しや言葉の虚飾に依存する人物の典型例として、シェイクスピアが風刺の対象とした社会的傾向を反映しています。

人間性の複雑さ

パロールの人物像は、単に悪役として片付けるにはあまりにも複雑です。彼の行動の背後には、自己実現と社会的昇進への深い渇望があり、それが彼の数々の欺瞞や裏切りを動機付けています。また、彼の言動は、しばしばコミカルな効果を生み出し、戯曲における緊張の緩和やテーマの軽減に一役買っています。このように、パロールはシェイクスピアが描く人間の弱さや欠陥、そしてそれにもかかわらず彼らが持ち得る魅力や同情を誘う要素を体現しています。

パロールの人物像を通じて、シェイクスピアは名誉や地位への欲望、外見と実態の乖離、そして人間性の複雑さという普遍的なテーマを探求しています。彼のキャラクターは、見かけによらない人間の本質と、それを取り巻く社会的条件の影響を巧みに描き出しているのです。

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