十二夜:社会学的考察
序章:変装と錯綜する人間関係
十二夜は、1601年頃に書かれたとされる、ウィリアム・シェイクスピアによる喜劇です。 難破で生き別れになった双子の兄妹、セバスチャンとヴァイオラが、イリリアという見知らぬ土地で、それぞれ別人として生活を始めます。ヴァイオラは男装してシザーリオと名乗り、オーシーノ公爵に仕えますが、その過程で、オリヴィア伯爵夫人に恋され、身分を隠したまま複雑な恋愛模様に巻き込まれていきます。
この作品は、軽妙洒脱な会話と登場人物たちの滑稽な行動を通して、アイデンティティ、ジェンダー、恋愛、そして社会における欺瞞といった、社会学的なテーマを浮き彫りにしています。
第一章:ジェンダーと社会規範:男装という社会実験
ヴァイオラは、生き延びるために男装し、男性社会に身を投じます。彼女は、男装することで、女性の社会的地位や役割の制限から解放され、オーシーノ公爵の信頼を得て、重要な役割を任されるようになります。
社会学では、ジェンダーとは、生物学的な性差ではなく、社会的に構築された性別の役割や規範を指します。ヴァイオラの男装は、一種の「社会実験」として、当時のジェンダー規範がいかに強固で、かつ流動的なものであったかを露呈します。
エリザベス朝イングランドでは、女性は、男性に従属的な存在とみなされ、政治や経済活動への参加は制限されていました。ヴァイオラは、男装することで、これらの制限から解放され、男性として自由に活動することができます。
現代社会においても、ジェンダーに基づく差別や偏見は根強く残っていますが、女性の社会進出が進み、政治、経済、文化など、様々な分野で活躍する女性が増えてきています。ジェンダーの多様性も認められつつあり、従来の男性/女性の二項対立を超えた、新しいジェンダー表現も生まれてきています。
ヴァイオラの男装は、私たちに、ジェンダー規範の歴史的変化と、現代社会におけるジェンダーの多様性について考えさせるきっかけを与えてくれます。
第二章:自己と他者:鏡に映る自己と誤認
「十二夜」では、瓜二つのセバスチャンとヴァイオラが、それぞれ別人として扱われ、周囲の人々は、彼らの外見だけで判断し、真実を見抜くことができません。これは、社会学における「象徴的相互作用論」の観点から興味深い現象です。
象徴的相互作用論とは、人々の相互作用が、象徴(言語、ジェスチャー、身振りなど)を通じて、どのように意味を生成し、社会を構築していくのかを分析する理論です。この理論では、自己は、他者との相互作用を通じて形成されると考えられています。
クーリーの「鏡に映る自己」の概念は、象徴的相互作用論の重要な要素です。私たちは、他者が自分をどのように見ているかを想像し、その想像に基づいて自分自身を認識します。「十二夜」では、セバスチャンとヴァイオラは、他者から誤った認識をされ、その誤解に基づく反応によって、自分自身の立場も揺らいでいきます。
例えば、オリヴィアは、ヴァイオラを男性だと思い込み、熱烈な求愛をします。ヴァイオラは、自分が女性であることを明かせないまま、オリヴィアの求愛に困惑し、苦悩します。
現代社会においても、ソーシャルメディアの普及により、私たちは、常に他者の視線を意識し、自らの「理想的な自己像」を演出しようとする傾向があります。しかし、「理想の自己」と「現実の自己」の乖離が大きくなると、アイデンティティの葛藤や不安が生じる可能性もあります。
第三章:恋愛と社会劇:求愛の儀礼と演じられる役割
「十二夜」は、登場人物たちの求愛行動を通して、恋愛の複雑さをコミカルに描き出しています。オーシーノ公爵は、オリヴィアに恋焦がれ、美しい詩や音楽で彼女を口説こうとしますが、オリヴィアは、兄の死を悼み、男性との接触を拒絶しています。そこに、男装したヴァイオラが登場し、オーシーノの使者としてオリヴィアに求愛の言葉を伝えます。
アーヴィング・ゴッフマンは、「ドラマツルギー」という概念を提唱し、社会生活を、演劇の舞台にたとえました。ゴッフマンによれば、人々は、それぞれの場面に合わせて、特定の役割を演じ、適切な印象を与えようとします。
「十二夜」の登場人物たちは、恋の舞台において、それぞれの役割を演じ、複雑な駆け引きを繰り広げます。オーシーノは、ロマンティックな恋人、オリヴィアは、高嶺の花、そしてヴァイオラは、忠実な使者という役割を演じています。しかし、彼らの本心は、必ずしも表面的な役割と一致しているわけではありません。
例えば、オーシーノは、オリヴィアへの激しい想いを歌い上げます。しかし、ヴァイオラ(シザーリオ)との会話を通して、彼は、実は、ヴァイオラ自身に惹かれていることに気づき始めます。
現代社会においても、恋愛は、社会的な文脈の中で行われ、様々な規範や期待が影響を与えます。私たちは、デート、告白、プレゼントといった儀礼的な行動を通して、相手に好意を伝えようとします。しかし、これらの行動は、ゴッフマンの言う「印象操作」の一種であり、必ずしも本心からの行動であるとは限りません。
第四章:欺瞞と真実:仮面の下の真実
「十二夜」は、仮面舞踏会や男装といった、欺瞞や偽りが横行する世界です。登場人物たちは、それぞれの目的のために、真実を隠し、虚構の仮面を被っています。しかし、物語が進むにつれて、彼らの仮面は剥がれ落ち、隠されていた真実が明らかになっていきます。
社会学者のピーター・バーガーとトーマス・ルックマンは、「現実の社会的構築」という概念を提唱しました。彼らは、社会における「現実」とは、客観的に存在するものではなく、人々の相互作用によって主観的に構築されるものであると論じました。
「十二夜」では、人違いや誤解によって、登場人物たちの「現実」は歪められ、混乱が生じます。しかし、物語の終盤、双子の兄妹が再会し、全ての誤解が解けることで、秩序が回復します。
現代社会においても、私たちは、メディア、インターネット、そして人間関係を通して、様々な情報に接し、自分自身の「現実」を構築しています。しかし、情報は必ずしも真実とは限らず、私たちは、情報の真偽を見極め、自分自身の判断基準を持つ必要があります。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。