十二夜: 恋の錯綜とアイデンティティの揺らぎを心理学で解き明かす
シェイクスピアの傑作、『十二夜』。双子の兄妹、セバスチャンとヴァイオラが、嵐で生き別れ、それぞれ別人としてイリリアの地を彷徨うことから始まる物語は、性別の境界を超えた恋の混乱と錯綜、そして、個性豊かな登場人物たちが織りなす人間模様を通して、観客を笑いと感動の渦へと巻き込みます。
しかし、この喜劇の魅力は、単なるロマンティックなストーリー展開やコミカルな登場人物たちの掛け合いに留まりません。シェイクスピアは、巧みな演出と台詞を通して、登場人物たちのアイデンティティ(自己認識)、自己欺瞞、社会的役割、そして人間関係の複雑さを浮き彫りにしています。
今回は、現代心理学のメスで、登場人物たちの心の奥底を深く探求することで、『十二夜』という愛と笑いの祝祭劇に隠された人間心理の真実を明らかにしていきましょう。
1. オーシーノ: メランコリックなロマンティスト
オーシーノは、イリリアの公爵であり、オリヴィアに恋焦がれるロマンティストです。 しかし、彼の恋心は、オリヴィアへの熱烈な想いを歌い上げる一方で、どこか現実味を欠き、空想の世界に浸っているような印象を与えます。
自己愛と理想化
彼の恋愛スタイルは、自己愛(自分自身に強い関心を持ち、自分を愛する傾向)と「理想化」という心理メカニズムによって特徴づけられます。
オーシーノは、オリヴィアを理想的な女性像として捉え、彼女の美しさや気品を過剰に賞賛します。 しかし、彼は、現実のオリヴィアの個性や気持ちにはあまり関心がなく、むしろ、自分自身の恋愛感情に陶酔しているように見えます。
彼の有名な台詞、「もし音楽が恋の糧なら、奏で続けよ」は、まさに彼の耽美的な性格を象徴する言葉と言えるでしょう。 彼は、音楽や詩といった芸術を通して、自分の恋愛感情を表現し、その世界に浸ることで、満足感を得ています。
現代社会におけるオーシーノ
現代社会に置き換えると、オーシーノは、ロマンティックな恋愛映画やドラマを制作する映画監督かもしれません。
彼は、美しい映像と音楽で、観客の心を揺さぶる作品を生み出す才能を持っていますが、現実の恋愛では、理想が高すぎて、なかなか相手に巡り合えないかもしれません。
あるいは、彼は、理想の女性を求めて、マッチングアプリを駆使するも、なかなか現実の恋愛に踏み切れない、草食系男子の姿を映し出しているのかもしれません。
2. オリヴィア: 喪失と自己欺瞞の影
オリヴィアは、亡き兄を悼み、7年間、男性との接触を断つと宣言する、美しい伯爵です。
悲嘆と防衛機制
しかし、彼女の行動は、本当に兄への哀悼の気持ちだけから来ているのでしょうか? 心理学の観点から見ると、彼女は、「防衛機制」によって、自らの深層心理を隠している可能性があります。
防衛機制とは、不安や葛藤、ストレスといった、精神的な苦痛から自分を守るために、無意識のうちに用いる心理的なメカニズムです。
オリヴィアの極端な行動は、「抑圧」(受け入れがたい感情や衝動を、無意識のうちに押し込めてしまうこと)という防衛機制の一種と考えられます。
彼女は、兄の死という辛い現実を受け入れることができず、男性との接触を断つことで、その悲しみや喪失感から、自分自身を守ろうとしているのかもしれません。
自己欺瞞と恋愛
さらに、彼女は、セザーリオ(男装したヴァイオラ)に恋をすることで、自らの禁欲的な誓いを破ってしまいます。
この行動は、彼女が、無意識のうちに、自己欺瞞に陥っていることを示唆しています。
彼女は、セザーリオを男性ではなく、「少年」と認識することで、自分の誓いを破ることなく、恋愛感情を抱くことを正当化しているのです。
現代社会におけるオリヴィア
現代社会に置き換えると、オリヴィアは、過去のトラウマから、恋愛に対して臆病になっている女性かもしれません。
彼女は、失恋や、過去の恋愛での辛い経験から、心を閉ざし、新しい恋愛に踏み出すことを恐れています。
しかし、心の奥底では、愛情やパートナーシップを求めており、無意識のうちに、安全でリスクの少ない恋愛対象(例えば、年下の男性や、同性)に惹かれるのかもしれません。
3. ヴァイオラ: ジェンダーの境界を超えて
ヴァイオラは、嵐で生き別れになった兄を探しに、男装してセザーリオと名乗り、オーシーノに仕えることになります。
ジェンダーと社会的役割
彼女の行動は、「ジェンダー」と「社会的役割」という、社会心理学の重要なテーマと深く関わっています。 ジェンダーとは、生物学的な性差とは別に、文化や社会によって形成される、男性らしさ、女性らしさといった、社会的・文化的な性差のことです。
社会的役割とは、性別、年齢、職業、立場などに応じて、社会的に期待される行動パターンのことです。
ヴァイオラは、男装をすることで、男性の社会的役割を演じることを強いられます。 しかし、彼女は、その役割を演じる中で、自分自身の女性としてのアイデンティティとのギャップに悩み、葛藤することになります。
認知的不協和
彼女の葛藤は、「認知的不協和」という概念で説明することができます。
認知的不協和とは、自分の信念や価値観と矛盾する行動をとった時に感じる、心理的な不快感のことです。
ヴァイオラは、オーシーノに仕えるために、男性の役割を演じなければなりませんが、それは、彼女の女性としてのアイデンティティと矛盾する行動です。
彼女は、この認知的不協和を解消するために、オーシーノへの忠誠心と、自分自身のアイデンティティの間で、葛藤するのです。
現代社会に生きるヴァイオラ
現代社会に置き換えると、ヴァイオラは、男性中心的な企業で働く、キャリアウーマンかもしれません。
彼女は、男性社員と同じように、あるいは、それ以上に活躍しようと努力しますが、周囲からは、女性としての役割を期待されたり、性差別的な発言を受けたりすることで、苦悩するでしょう。
4. サー・トービー・ベルチ: 現実逃避と快楽主義
サー・トービー・ベルチは、オリヴィアの叔父であり、酒と宴会を愛する、陽気な享楽主義者です。
彼は、社会的な責任や義務を軽視し、自分の好きなように振る舞うことを好みます。
現実逃避と享楽主義
彼の行動は、「現実逃避」と「快楽主義」という、心理学的な側面から分析することができます。
サー・トービーは、現実世界の困難や責任から目を背け、酒や宴会といった、快楽に満ちた世界に逃避することで、心の安らぎを得ようとしています。
彼の行動は、周囲の人々に迷惑をかけることもありますが、彼は、そうした結果を深刻に捉えることなく、その場限りの快楽を追求するのです。
現代社会におけるサー・トービー・ベルチ
現代社会に置き換えると、サー・トービー・ベルチは、仕事や家庭の責任から逃れ、ギャンブルやゲームに依存してしまう、中年男性の姿かもしれません。
彼は、現実世界のストレスやプレッシャーに耐え切れず、仮想世界や、刹那的な快楽に逃避することで、自らの心を麻痺させているのでしょう。
5. マルヴォーリオ: 誇大妄想と自己愛の暴走
マルヴォーリオは、オリヴィア家に仕える執事であり、プライドが高く、堅物な性格です。
認知バイアスと自己欺瞞
彼は、自分がオリヴィアから密かに想いを寄せられていると思い込み、その妄想から、滑稽な行動をとってしまいます。 彼の行動は、「認知バイアス」と「自己欺瞞」という、心理学的な概念で説明できます。
認知バイアスとは、客観的な情報よりも、自分に都合の良い解釈をしてしまう、人間の思考の歪みのことです。 マルヴォーリオは、オリヴィアの何気ない言動を、自分に好意を持っている証拠だと解釈してしまう「確証バイアス」(自分の既存の信念を肯定する情報ばかりを集め、反証となる情報を無視してしまう傾向)に陥っています。
また、彼は、自己愛が強く、自分が特別な存在だと信じたいと思っています。 そのため、彼は、オリヴィアからの手紙を、自分の妄想を肯定する証拠として受け取り、周囲の忠告にも耳を傾けず、自らの世界に閉じこもってしまうのです。
現代社会におけるマルヴォーリオ
現代社会に置き換えると、マルヴォーリオは、上司からの評価を過剰に期待し、昇進を確実視しているにも関わらず、実際には評価されず、失望してしまう中間管理職の姿かもしれません。
彼は、上司の何気ない言葉や態度を、自分に期待しているサインだと解釈し、自信過剰になってしまいます。 しかし、現実は彼の期待とは異なり、そのギャップに苦しむことになるでしょう。
6. フェステ: 鋭い観察眼を持つ道化師
フェステは、オリヴィア家に仕える道化師であり、機知に富んだ言葉で、周囲の人々を笑わせます。
知性と洞察力
しかし、彼の言葉は、単なるおどけ話ではなく、鋭い観察眼と洞察力に基づいた、人間心理への深い理解を反映していることが少なくありません。
彼は、登場人物たちの本音や、隠された感情を見抜き、それをユーモラスな言葉で表現することで、観客に、登場人物たちの内面世界を垣間見せる役割を果たしていると言えるでしょう。
現代社会におけるフェステ
現代社会に置き換えると、フェステは、社会風刺の効いた漫談で人気を集めるコメディアンかもしれません。
彼は、鋭い観察眼で社会の矛盾や人間の愚かさを捉え、それを笑いに昇華することで、観客に、社会問題について考えるきっかけを与えているでしょう。
十二夜: アイデンティティの探求と再生
『十二夜』は、登場人物たちが、様々な誤解や試練を通して、自分自身を見つめ直し、成長していく物語です。
私たちは、心理学のレンズを通して、彼らの行動や心の動きを分析することで、この喜劇が持つ深みや奥行きを、より深く理解することができます。
そして、彼らの物語は、私たち自身の人生においても、アイデンティティとは何か、そして、私たちはどのように他者と関わっていくべきか、という普遍的な問いを投げかけていると言えるでしょう。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。