マクベス: 野心と狂気の物語を心理学で照らす
シェイクスピアの四大悲劇の一つ、『マクベス』。スコットランドの将軍マクベスは、魔女たちの予言と妻の唆しによって王を殺害し、自らが王位に就きます。しかし、その王座は血塗られた罪の上に築かれたものであり、マクベスは罪悪感と paranoia(被害妄想)に苛まれ、破滅へと突き進んでいくのです。
この作品は、単なる権力闘争の物語ではありません。シェイクスピアは、人間の心の奥底に潜む野心、罪悪感、そして狂気という闇を、マクベス夫妻の心理描写を通して鮮やかに描き出しています。
今回は、現代心理学の光を当て、登場人物たちの心の奥底を深く探求することで、『マクベス』という物語を新たな視点から読み解いていきましょう。
1. マクベス: 野心と罪悪感の狭間で
マクベスは、勇敢で忠誠心の厚い将軍として登場します。しかし、魔女たちの「王になる」という予言を聞いた瞬間、彼の心に野心の火が灯ります。
彼の性格は、野心と臆病さという相反する要素がせめぎ合っている点が特徴です。 彼は、王になるという野望を抱きながらも、同時に罪を犯すことへの恐怖にも怯えています。
彼の葛藤は、「接近-回避 갈등」という心理学の概念で説明できます。 接近-回避 갈등とは、ある目標に対して、同時に「近づきたい」という気持ちと「避けたい」という気持ちを抱く葛藤のことです。
マクベスにとって、王位は、権力と栄光という魅力的な目標であると同時に、罪悪感や恐怖を伴う危険な目標でもあります。 彼は、この葛藤に苦しみながらも、最終的には、妻の言葉に後押しされる形で、王殺害という決断を下してしまうのです。
認知的不協和と自己正当化
王を殺害した後、マクベスは激しい罪悪感と不安にさいなまれます。 これは、「認知的不協和」という心理現象によって説明できます。 認知的不協和とは、自分の信念や価値観と矛盾する行動をとった時に感じる、心理的な不快感のことです。
マクベスは、自らの犯した罪を正当化するために、「王は暴君だった」「自分は国のために行動した」といった自己欺瞞に陥っていきます。
現代社会に生きるマクベス
現代社会に置き換えると、マクベスは、野心的なビジネスマンかもしれません。彼は、成功を強く渇望し、トップに上り詰めるために、時には倫理的にグレーな行動をとってしまうこともあるでしょう。
しかし、心の奥底では、罪悪感や不安に苛まれ、成功の喜びを心から味わうことはできません。 彼は、自らの行動を正当化するために、様々な理由をこじつけ、周囲の人々を欺き続けるかもしれません。
2. マクベス夫人: 冷酷な野心と脆い精神
マクベス夫人は、夫以上に野心が強く、冷酷な女性として描かれています。彼女は、魔女たちの予言を聞き、マクベスを唆して王を殺害させようとします。
夫人がマクベスを操る様子は、「マキャベリズム」という性格特性の表れと言えます。 マキャベリズムとは、目的達成のためには手段を選ばず、他人を利用することに抵抗がない、冷酷で計算高い性格特性です。
抑圧と投影
夫人は、自分の心の奥底にある罪悪感や恐怖を、「抑圧」という防衛機制によって、無意識の領域に押し込めています。 しかし、抑圧された感情は、別の形で表面化することがあります。
夫人は、手を洗う場面で、血の幻覚に怯え、「出ていけ、この染み!」と叫びます。 これは、「投影」と呼ばれる防衛機制の一種であり、自分の中にある受け入れがたい感情や衝動を、他者や外部の世界に投影することで、自分自身を守ろうとする心の働きです。
現代社会のマクベス夫人
現代社会に置き換えると、マクベス夫人は、夫を成功させようと、裏で策略を巡らせる、野心的な政治家の妻かもしれません。
彼女は、夫の成功が自分の成功であるかのように考え、そのために、冷酷な手段を用いることも厭わないでしょう。 しかし、彼女は、心の奥底では、罪悪感や不安に苦しみ、精神的に不安定な状態に陥っているかもしれません。
3. バンクォー: 理性と良心の象徴
バンクォーは、マクベスの友人であり、彼と同様に魔女たちの予言を聞きます。 しかし、バンクォーは、マクベスとは対照的に、予言に惑わされることなく、理性と良心を貫きます。
彼の性格は、マクベスの情動的な性格とは対照的で、冷静で思慮深い人物として描かれています。 彼は、魔女たちの予言を「悪の誘惑」と捉え、それに屈することなく、自らの道徳的な信念を貫き通します。
統制の所在と現実主義
バンクォーは、自分の運命は自分でコントロールできるという「内的統制」の信念を持っています。 彼は、魔女たちの予言に翻弄されるのではなく、自分の力で未来を切り開こうとする現実主義者です。
現代社会におけるバンクォー
現代社会に置き換えると、バンクォーは、倫理観を重視する企業の経営者かもしれません。 彼は、短期的な利益よりも、長期的な安定と成長を重視し、社会的な責任を果たすことを重視するでしょう。
たとえ大きな利益を得られるチャンスがあったとしても、それが倫理的に問題があると判断すれば、彼は、その話に乗ることはないでしょう。
4. マクダフ: 復讐に燃える正義の執行者
マクダフは、マクベスによって家族を殺害され、復讐を誓うスコットランドの貴族です。 彼は、作品の中で、正義と復讐の象徴として描かれています。
正義感と怒り
マクダフは、マクベスの悪行に対して、強い憤りと憎しみを抱いています。 彼の復讐心は、個人的な恨みだけでなく、マクベスによって破壊されたスコットランドの秩序を取り戻したいという、正義感からも生まれています。
喪失と悲嘆
マクダフは、家族を失った悲しみを乗り越え、復讐という目標に邁進します。 彼の行動は、「悲嘆のプロセス」という心理学の概念で説明できます。
悲嘆のプロセスは、一般的に、否認、怒り、交渉、抑うつ、受容という5つの段階を経て進んでいくと言われています。 マクダフは、これらの段階を経て、家族を失った悲しみを、マクベスに対する怒りへと転換し、最終的には、復讐を果たすことで、心の安らぎを得るのでしょう。
現代社会のマクダフ像
現代社会に置き換えると、マクダフは、犯罪被害者の遺族であり、加害者への厳罰を求める活動家かもしれません。
彼は、愛する家族を理不尽に奪われた怒りと悲しみを、社会正義の実現へと向けることで、自らの心の傷を癒やそうとしているのかもしれません。
5. 魔女たち: 人間の深層心理を映し出す存在
魔女たちは、『マクベス』の中で、超自然的な存在として描かれ、マクベスに予言を与え、彼の運命を狂わせていきます。
予言と自己成就予言
彼女たちの予言は、マクベスの野心に火をつけ、彼を破滅へと導くきっかけとなります。 これは、「自己成就予言」と呼ばれる社会心理学の現象と関連づけて解釈できます。
自己成就予言とは、ある予言を信じ込むことで、その予言が現実になってしまう現象です。 マクベスは、魔女たちの予言を信じ込んだことで、自ら行動を起こし、結果的に予言を現実のものとしてしまうのです。
深層心理の象徴としての魔女
心理学的な視点から見ると、魔女たちは、マクベス自身の深層心理(意識されない心の領域)の象徴として解釈することもできます。
彼女たちの予言は、マクベスが心の奥底に秘めていた、王位への野心を顕在化させる役割を果たしたと言えるでしょう。 また、彼女たちは、マクベスが抱える罪悪感や paranoia(被害妄想)、そして、狂気といった、ネガティブな感情を投影した存在とも考えられます。
マクベス: 人間の心の闇を映し出す鏡
『マクベス』は、権力と野心、そして、人間の心の脆さと闇を描いた作品です。登場人物たちは皆、それぞれの欲望や信念、葛藤を抱えながら、運命の糸に翻弄されていきます。
私たちは、現代心理学の知識を用いることで、彼らの行動や感情を深く理解し、この不朽の名作に込められたメッセージを、より鮮明に受け取ることができるでしょう。
そして、『マクベス』という鏡を通して、私たち自身の心の奥底に潜む、光と影にも、改めて向き合うことができるかもしれません。
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