## 夏目漱石の坊ちゃんの思想的背景
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明治時代の社会と漱石
夏目漱石が「坊ちゃん」を執筆した明治時代は、近代国家として急速な発展を遂げる一方で、伝統的な価値観と西洋から流入する新しい価値観との間で混乱が生じていました。西洋列強に対抗するために国家主義的な思想が広まり、富国強兵政策が進められる中で、個人主義や自由主義といった西洋的な価値観も流入し、人々の間で価値観の揺らぎが生じていました。
漱石自身も、東京帝国大学英文科を卒業し、イギリス留学を経験するなど、西洋文化に深く触れる一方で、日本の伝統的な価値観との間で葛藤を抱えていました。このような漱石自身の経験や思想は、「坊ちゃん」の作品世界にも色濃く反映されています。
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「坊ちゃん」におけるモラルの対立
「坊ちゃん」は、主人公である正義感の強い「坊ちゃん」が、赴任した地方の中学校で、嘘や欺瞞に満ちた大人たちと対立する物語です。この対立は、単なる個人の性格の不一致として描かれているのではなく、当時の社会に横たわるモラルの対立を象徴的に示しています。
「坊ちゃん」が信じる正義は、江戸時代から続く伝統的な武士道や儒教の影響を受けた、単純明快な倫理観に基づいています。一方、「赤シャツ」に代表される敵対者は、立身出世や保身のために手段を選ばない、当時の社会に蔓延していた拝金主義や功利主義的な価値観を体現しています。
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漱石の理想と現実の乖離
「坊ちゃん」は、主人公の痛快な活躍を描いたユーモラスな作品として読める一方で、漱石の理想と現実社会との間にある大きな乖離が浮き彫りになっています。
「坊ちゃん」のような純粋な正義感は、複雑化した現実社会では通用しないばかりか、むしろ周囲から浮いた存在として嘲笑の対象になってしまう。漱石は、「坊ちゃん」の姿を通して、変わりゆく時代の流れの中で、自分が大切にしてきた価値観が失われつつあることに対する不安や焦燥感を表現しているとも考えられます。