Skip to content Skip to footer

夏目漱石の吾輩は猫であるに関連する歴史上の事件

## 夏目漱石の吾輩は猫であるに関連する歴史上の事件

###

日露戦争(1904年 – 1905年)

『吾輩は猫である』の連載が始まったのは1905年1月、「ホトトギス」という雑誌でした。日露戦争の真っ只中であり、日本社会は戦勝ムードに沸きかえっていました。しかし、漱石は開戦当初からこの戦争に懐疑的な立場を取っていました。当時の知識人の中には、国家主義的な風潮に流され、戦争を支持する者も少なくありませんでした。しかし、漱石は冷静な視点から、戦争がもたらす悲惨さや、国家の論理に翻弄される人間の姿を、風刺を交えて描いています。

作中では、迷亭が戦争を賛美する一方で、苦沙弥先生は冷めた目で見ているという対比が見られます。これは、当時の知識人たちの間で揺れ動いていた、戦争に対する複雑な感情を反映していると考えられます。また、戦争によって経済的に困窮する人々の姿も描かれており、戦争の影の部分を浮き彫りにしています。

###

日清戦争(1894年 – 1895年)

日露戦争の前には、日清戦争がありました。この戦争は日本が勝利し、国民の間には自信と国家主義的な風潮が高まりました。しかし、その一方で、戦争による経済的な負担や社会不安も生じていました。

『吾輩は猫である』では、日清戦争後の好景気に沸く一方で、貧富の格差が広がっていく様子が描かれています。これは、漱石が日清戦争後の社会状況を冷静に観察し、その光と影の両方を捉えていたことを示唆しています。

###

明治維新(1868年)と文明開化

明治維新によって、日本は近代国家へと歩み始めました。西洋文化が積極的に導入され、社会構造や人々の価値観は大きく変化しました。漱石自身も、この時代の変化を肌で感じていました。

『吾輩は猫である』では、西洋文化への憧憬と反発が入り混じった、当時の日本人の複雑な心理を描写しています。苦沙弥先生は、英語を学び西洋文化に関心を持ちながらも、どこかで日本の伝統的な文化との間で葛藤を抱えています。これは、明治維新後の日本で多くの人が経験した、アイデンティティの揺らぎを象徴していると言えるでしょう。

このように、『吾輩は猫である』は、漱石が生きた時代の歴史的背景と密接に関係しています。漱石は、猫という客観的な視点を通して、当時の日本社会や人間の姿を鋭く描き出しました。歴史的事件を背景に読み解くことで、『吾輩は猫である』は、より深く理解することができます。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5