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夏目漱石の吾輩は猫であるに影響を与えた本

夏目漱石の吾輩は猫であるに影響を与えた本

ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』

夏目漱石の『吾輩は猫である』は、日本の近代文学を代表する傑作の一つであり、その独特な語り口や風刺的な視点で多くの読者を魅了してきました。この作品に大きな影響を与えたとされるのが、18世紀イギリスの作家ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』です。

『トリストラム・シャンディ』は、主人公トリストラムが自身の誕生から現在に至るまでの出来事を語ろうとするものの、脱線に次ぐ脱線でなかなか本題に入れないという、実験的な構成を持つ小説です。スターンは、当時の小説の慣習にとらわれず、自由奔放な語り口、ユーモア、風刺、メタフィクションなどを駆使することで、人間の意識の流れや複雑さを表現しようとしました。

漱石は、留学中に『トリストラム・シャンディ』を読み、その斬新な手法に強い影響を受けたとされています。『吾輩は猫である』においても、猫という客観的な視点を持つ語り手を設定し、人間の愚かさや社会の矛盾をユーモラスに風刺する点は、『トリストラム・シャンディ』の影響を色濃く反映していると言えるでしょう。

例えば、『吾輩は猫である』の冒頭、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」という有名な一文は、猫の視点から人間の世界を冷静に観察する姿勢を示すと同時に、『トリストラム・シャンディ』の冒頭、「私はこの世に生を受けたとき、―いや、ちょっと待ってくれ、―私はそんな昔のことから話し始めるべきではないだろう。」という、語り手自身の存在意義を問うようなメタフィクション的な語り口を彷彿とさせます。

また、『吾輩は猫である』では、猫の視点を通して、人間の言葉や行動の滑稽さ、社会の不条理などが鋭く描かれますが、これもまた、『トリストラム・シャンディ』に見られる、人間の愚行や社会の矛盾に対する風刺的な視点を踏襲していると言えるでしょう。

このように、『吾輩は猫である』は、『トリストラム・シャンディ』の自由な語り口や風刺精神を受け継ぎ、独自の文学世界を構築することに成功した作品と言えるでしょう。漱石は、スターンの作品から、既存の枠にとらわれず、人間の真実を追求する新しい文学の可能性を見出したのではないでしょうか。

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