十返舎一九の東海道中膝栗毛が書かれた時代背景
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』は江戸時代後期、文化・文政期(1804-1830年)に書かれました。この時代の日本における読書の位置づけは、社会の変化やその他のメディアの発展とともに大きく変動していました。ここでは、『東海道中膝栗毛』が生まれた背景と、当時の読書文化とその他のメディアとの比較について掘り下げます。
江戸時代の読書文化の発展
江戸時代には、平安時代から続く貴族文化だけでなく、庶民文化も大きく発展しました。これは、都市化、商業経済の発展、そして江戸時代の平和な時期が長かったことが背景にあります。特に、庶民の識字率が向上したことで、読書が一般的な娯楽として広がりました。『東海道中膝栗毛』が書かれた文化・文政期には、浮世絵や戯作、そして読本などの大衆文化が花開き、多くの民衆がこれらの文化に触れる機会を持っていました。
他のメディアとの比較
江戸時代には読書以外にも様々なメディアが存在していました。浮世絵は庶民文化の一翼を担い、風俗画や役者絵などが人気を博していました。また、歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)などの演劇も非常に人気があり、これらの娯楽は読書と同様に、庶民に広く受け入れられていました。読書は静かな個人の時間を提供する一方で、歌舞伎や人形浄瑠璃は集団で楽しむエンターテイメントであり、それぞれ異なるニーズを満たしていました。
『東海道中膝栗毛』の特異性
『東海道中膝栗毛』は、当時の読書文化の中でも特にユニークな位置を占めていました。この作品は、旅というテーマを通じて、庶民の目線で日本の風土や文化を描き出しました。また、主人公の弥次喜多の冒険を通じて、ユーモアと風刺が織り交ぜられています。このような内容は、読者に新鮮な読書体験を提供し、当時の他のメディアでは味わえない種類のエンターテイメントを生み出していました。
江戸時代の読書の位置づけは、庶民文化の発展とともに変化し、多様化していきました。『東海道中膝栗毛』は、そのような時代背景の中で生まれた作品であり、当時の読書文化の中でも特に注目されるべき位置にあります。その人気は、読書が単なる知識の習得手段でなく、広く庶民に受け入れられる娯楽の一形態として成立していたことを示しています。