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三島由紀夫の金閣寺と時間

三島由紀夫の金閣寺と時間

時間と金閣の存在

作中、金閣は主人公・溝口にとって絶対的な美の象徴として登場します。金閣は、溝口の内的世界において、
時間による変化を受けない永遠不滅の存在として描かれます。彼は幼少期から父親を通じて金閣の美について聞かされ、
そのイメージを自身の内面に構築していきました。現実の金閣と対面した際も、溝口はイメージとの乖離に苦しむのではなく、
むしろ自らの内面に存在する金閣の美を再確認するように描かれています。

溝口は、金閣の美を永遠のものとして認識する一方で、自分自身の存在や周囲の人間、そして世界そのものが
時間に支配され、変化し続けるものであることを強く意識しています。この時間による変化と、
金閣の永遠性との対比が、溝口の内部に激しい葛藤を生み出していく様子が描かれています。

時間と溝口の意識

溝口は、自身の吃音や内向的な性格から周囲との間に壁を感じ、疎外感を抱えています。金閣の美しさへの執着は、
そうした現実の自分と理想の自分との間の溝を埋めるための拠り所として機能していました。

しかし、成長するにつれて、溝口は現実の時間と自身の内面との間にズレが生じていることに気づき始めます。
戦争や戦後の混乱期を経て、かつての絶対的な美であった金閣の存在意義にも変化が生じます。溝口は、
金閣が時間と共に変化していく現実世界の象徴へと変化していく様を目の当たりにし、苦悩します。

時間と物語の結末

作中では、時間経過と共に溝口の金閣に対する感情が変化していく様子が描かれています。当初は絶対的な美の象徴であった金閣は、
次第に溝口自身の内面に生じる焦燥感や劣等感、そして現実世界の変化と対峙できないことへの苛立ちを投影する対象へと変化していきます。

そして最終的に、溝口は金閣を燒燬することで、自己の内部に存在する時間と、金閣が象徴する永遠性との断絶を図ろうとします。

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