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三島由紀夫の金閣寺と人間

## 三島由紀夫の金閣寺と人間

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美への執着と破壊衝動

「金閣寺」は、美の象徴である金閣と、吃音に悩む学僧・溝口との関係を通して、人間の心の奥底に潜む美への執着と破壊衝動を描いた作品です。溝口にとって、金閣は幼少期からの憧憬とコンプレックスの対象であり、現実と虚構の狭間で揺れ動く存在として描かれています。

溝口は金閣の美しさに圧倒されながらも、同時にその美によって自己の存在が否定されるような苦悩を味わいます。金閣の完全無欠な美は、吃音という欠陥を持つ自分とは対極に位置するものとして、溝口の劣等感を増幅させるのです。

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現実と虚構の狭間で

溝口の心象風景には、金閣と並んで、戦時中の混乱や、実母との死別、友人との葛藤といった現実の出来事が複雑に絡み合っています。これらの出来事は、溝口の精神を不安定にさせ、金閣への執着をさらに強める要因となります。

現実世界の出来事に翻弄されながらも、溝口は金閣を心の拠り所としてきました。しかし、成長するにつれて、金閣に対するイメージと現実の金閣との間にズレが生じていきます。このズレが、溝口の精神を追い詰め、最終的に金閣放火という衝撃的な結末へと繋がっていくのです。

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人間のエゴイズム

金閣放火という行為は、溝口の歪んだエゴイズムの表れとして解釈できます。金閣の美しさに苦しめられながらも、同時にその美に依存していた溝口は、自分だけが金閣を独占したいという歪んだ欲望を抱くようになります。

そして、その欲望を満たすためには、いっそ金閣を破壊してしまいたいという衝動に駆られていくのです。金閣を焼き払うことで、溝口は自分自身を金閣の呪縛から解放しようとしたのかもしれません。

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