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ヴォルテールのミクロメガスの原点

ヴォルテールのミクロメガスの原点

サティアに対する風刺

1736年に発表されたヴォルテールの「哲学書簡」は、当時のフランス社会、特に宗教と哲学に対して痛烈な批判を展開したことで、大きな物議を醸しました。この作品の中で、ヴォルテールは、ライプニッツの主張する「この世界はあらゆる可能な世界の中で最善のものである」という楽観主義を風刺しました。「ミクロメガス」は、「哲学書簡」から約5年後に発表された作品であり、その内容には「哲学書簡」で展開されたサティア、特に楽観主義に対する批判が色濃く反映されています。

当時の科学への関心

18世紀は、科学革命の成果が社会に広く浸透し始めた時代であり、人々の間で科学への関心が高まっていました。ヴォルテール自身も、ニュートンに代表される近代科学に強い関心を抱いており、その影響は「ミクロメガス」にも色濃く表れています。例えば、シリウス人ミクロメガスや土星人といった、巨大な体を持つ異星人の設定は、当時の天文学の知見を踏まえつつ、宇宙の広大さを表現する文学的装置として用いられています。また、ミクロメガスが地球を観察する様子は、顕微鏡を用いて微生物を観察する科学者の視点を彷彿とさせます。

旅行文学の影響

18世紀は、ヨーロッパ諸国による世界探検が進み、それらを題材とした旅行記が人気を博した時代でした。これらの旅行記は、未知の世界や異文化との遭遇を通して、当時のヨーロッパ社会の価値観を相対化し、啓蒙主義思想の広まりに貢献しました。 「ミクロメガス」も、シリウス人ミクロメガスと土星人の地球旅行という物語を通して、人間の愚かさや社会の矛盾を浮き彫りにする、一種の旅行文学として解釈することができます。

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