## ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考の光と影
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光:論理実証主義への多大な影響
「論理哲学論考」は、20世紀初頭のウィーン学団を中心とした論理実証主義運動に多大な影響を与えました。論理実証主義は、形而上学や倫理学のような伝統的な哲学的問いは、意味のある命題を含んでいないため、無意味であると主張しました。彼らは、意味のある命題は、論理学と経験科学によって検証可能でなければならないと考えました。
ヴィトゲンシュタインは、「論理哲学論考」において、世界は事実の総体から成り立っており、言語は世界を写し出す絵画のようなものであると主張しました。彼は、命題は事実と対応関係を持つことによって意味を持つとし、その対応関係は論理的な構造によって規定されるとしました。
論理実証主義者たちは、ヴィトゲンシュタインのこのような言語観を、自分たちの主張の根拠として利用しました。彼らは、「論理哲学論考」の分析の手法を用いることで、伝統的な哲学の問いの多くが、実際には擬似問題に過ぎないことを明らかにできると考えました。
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影:解釈をめぐる論争
「論理哲学論考」は、その難解な文章と、一見すると矛盾しているように見える主張のために、多くの解釈を生み出し、激しい論争を引き起こしてきました。ヴィトゲンシュタイン自身は、「論理哲学論考」を出版した後、哲学から離れてしまいました。そのため、彼の真意を巡る議論は、現在もなお続いています。
例えば、「論理哲学論考」の最後の一文、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」は、様々な解釈が可能です。一部の解釈者は、この一文を、倫理や宗教のような、言語で表現できない領域の存在を示唆するものとして捉えています。
一方で、他の解釈者は、この一文は、哲学的な問いの多くが、言語の誤用によって生み出された擬似問題に過ぎないことを示していると主張します。彼らは、ヴィトゲンシュタインが「論理哲学論考」で目指したのは、伝統的な哲学の終焉ではなく、新しいタイプの哲学の出発点であったと考えています。
このように、「論理哲学論考」は、その解釈をめぐって様々な意見が対立しており、決定的な解釈は存在しません。