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ワイルドの獄中記の話法

## ワイルドの獄中記の話法

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書簡形式

「獄中記」は、ワイルドが友人であるジャーナリスト、レジナルド・ターナーに宛てた長文の手紙という形式をとっています。これは単なる形式的な枠組みではなく、作品の内容や表現に大きな影響を与えています。

まず、書簡形式は、直接的で個人的な口調を生み出すことを可能にしています。ワイルドはターナーに対して直接語りかけるように、自身の経験、思考、感情を率直に吐露しています。これは、読者に対し、あたかもワイルドと個人的な対話をしているような感覚を抱かせ、作品への没入感を高める効果を生んでいます。

また、書簡形式は、時間的な制約や編集の介入を排除し、ワイルドの思考の流れをそのまま提示することを可能にしています。回想、議論、自己弁護、批評など、様々な内容が、時系列に沿ってではなく、ワイルドの意識の流れに沿って展開されていきます。これは、一見すると散漫な印象を与える可能性もありますが、同時に、ワイルドの複雑な内面をありのままに描き出す効果も生み出しています。

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聖書からの引用と寓意

「獄中記」の特徴の一つとして、聖書からの引用の多さが挙げられます。ワイルドは聖書の言葉を引用し、自身の状況や心情と重ね合わせることによって、自身の経験に普遍的な意味を与えようとします。

例えば、彼はキリストの受難と自身の苦しみを重ね合わせ、自身を殉教者のように位置づけることで、自身の受けている苦痛の大きさを訴えかけると同時に、その苦しみを通して精神的な高みを目指そうとする姿勢を示しています。

また、ワイルドは聖書の物語を自身の経験と重ね合わせて寓意的に解釈することによって、自身の経験に新たな光を当てようとします。これは、単に聖書の権威を借りて自身の主張を正当化しようとするためではなく、自身の経験をより深く理解し、そこから普遍的な教訓を導き出すために行われています。

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逆説と皮肉

「獄中記」では、逆説と皮肉が効果的に用いられています。ワイルドは、自身の置かれた悲惨な状況や、社会の偽善に対して、ユーモアを交えた辛辣な言葉を浴びせることで、自身の怒りや悲しみを表現すると同時に、読者に社会の矛盾を突きつけます。

例えば、ワイルドは、自身が同性愛の罪で投獄されたという不条理な状況を、皮肉を込めて描き出すことで、当時の社会の道徳観や価値観に疑問を投げかけています。

このように、逆説と皮肉は、「獄中記」において単なるユーモアとして機能するだけでなく、ワイルドの怒りや悲しみ、そして社会に対する批判を表現するための重要な手段となっています。

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