Skip to content Skip to footer

ロックの統治二論を深く理解するための背景知識

## ロックの統治二論を深く理解するための背景知識

1.ロックが生きた時代:17世紀イングランドの政治と社会

ジョン・ロック(1632-1704)は、17世紀イングランドの激動の時代を生きた思想家です。この時代は、宗教改革に端を発する社会不安、国王と議会との対立、そして名誉革命といった大きな政治的変動を経験しました。ロックの思想、特に彼の代表作である『統治二論』(1689)は、こうした時代の産物として理解する必要があります。

17世紀イングランドは、まず宗教改革の影響を強く受けていました。ヘンリー8世による英国国教会の設立以降、カトリックとプロテスタントの対立は激化し、社会は不安定な状態にありました。ピューリタン革命(1642-1651)では、国王チャールズ1世が議会派に敗北し処刑されるという、それまでのヨーロッパでは考えられないような出来事が起こります。その後、オリバー・クロムウェルによる共和政を経て、王政復古がなされますが、カトリックの信仰を守っていたジェームズ2世の治世は再び宗教対立を引き起こしました。

このような宗教対立と並行して、国王と議会の権力闘争も激化していきました。国王は絶対的な権力を持つことを主張しましたが、議会は国民の代表として国王の権力に制限を加えようとしました。この対立は、ピューリタン革命や名誉革命といった武力衝突に発展しました。1688年の名誉革命では、ジェームズ2世が追放され、オランダ総督ウィレム3世とメアリー2世が共同統治者として迎えられました。この革命は、議会の優位を確立し、立憲君主制への道を切り開く重要な転換点となりました。

ロックは、こうした政治的・宗教的な混乱を目の当たりにし、社会契約説に基づいた新しい政治思想を展開しました。彼は、人間の自然権を擁護し、政府の権力は国民の同意に基づくべきだと主張しました。彼の思想は、名誉革命の正当化に大きな影響を与え、近代民主主義の基礎を築く重要な役割を果たしました。

2.社会契約説:ロック以前の思想家たち

ロックの政治思想を理解する上で、社会契約説の歴史的な背景を知ることは不可欠です。社会契約説とは、国家や政府の起源を、人々が自然状態から脱するために結んだ契約に求める考え方です。ロック以前にも、古代ギリシアのソフィストやエピクロス派、そして近代のトマス・ホッブズなどが社会契約説の萌芽的な考えを提示していました。

古代ギリシアでは、ソフィストたちは慣習や法律は自然ではなく、人間の合意によって作られたものであると主張しました。エピクロス派は、人々は快楽を求めて互いに争う自然状態から脱するために、社会契約を結んで国家を形成したと考えました。

近代において社会契約説を体系的に展開したのは、トマス・ホッブズ(1588-1679)です。ホッブズは、著書『リヴァイアサン』(1651)の中で、自然状態における人間は「万人の万人に対する闘争」状態にあると述べました。この状態から脱するため、人々は絶対的な権力を持つ君主に全ての権利を譲渡し、社会秩序と安全を確保する契約を結ぶのだと主張しました。

ロックは、ホッブズの社会契約説を批判的に継承しながら、独自の理論を構築しました。ホッブズとは異なり、ロックは自然状態における人間は理性と自然法によって支配されており、完全に自由で平等であると考えました。また、ロックは政府の権力は制限されるべきであり、国民には抵抗権があると主張しました。

3.自然権思想:ロックの思想的基盤

ロックの政治思想を支える重要な柱の一つが、自然権思想です。自然権とは、人間が生まれながらにして持っている権利であり、いかなる政府によっても侵害されるべきではないと考えられています。ロックは、自然権として生命、自由、財産の3つを挙げました。

生命権は、誰も他人に殺されたり、傷つけられたりするべきではないという権利です。自由権は、他人に隷属させられたり、自由を奪われたりすることなく、自分の意志に基づいて行動する権利です。財産権は、自分の労働によって得たものを所有し、自由に処分する権利です。

ロックは、これらの自然権は神から与えられたものであり、政府の権力よりも上位に位置づけられると考えました。政府は、国民の自然権を保護するために存在し、もし政府が自然権を侵害するならば、国民は政府に抵抗する権利を持つと主張しました。

ロックの自然権思想は、近代民主主義の基礎となる重要な概念であり、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも大きな影響を与えました。

4.抵抗権:ロックの革命思想

ロックの政治思想において、抵抗権は重要な位置を占めています。抵抗権とは、政府が国民の自然権を侵害した場合、国民が政府に抵抗する権利です。ロックは、政府の権力は国民の同意に基づくものであり、政府がその信託を裏切った場合、国民は政府を解体する権利を持つと主張しました。

ロックは、抵抗権を行使する条件として、政府による自然権の侵害が重大かつ継続的であること、そして他の手段では権利の回復が見込めないことを挙げています。また、抵抗権は暴力的な手段に限られるものではなく、議会における反対運動や請願なども含まれると考えられています。

ロックの抵抗権思想は、名誉革命を正当化する理論的根拠となり、近代立憲主義の発展に大きな影響を与えました。しかし、抵抗権は政府の権威を弱体化させる可能性もあるため、その行使には慎重さが求められます。

5.所有権:ロックの経済思想

ロックは、自然権の一つとして財産権を重視し、所有権に関する独自の理論を展開しました。彼は、人間は自分の労働によって自然物を私有財産に変えることができると主張しました。例えば、土地を耕作したり、木を切り倒して家を建てたりすることで、その土地や家は私有財産となるのです。

ただし、ロックは所有権には制限があるとしました。それは、「十分に残し、かつ、同様に良い状態にする」という条件です。つまり、自分が所有することで、他の人が同じように自然物を利用する機会を奪ってはならないということです。また、所有物は腐敗したり、無駄になったりする前に消費する必要があると考えました。

ロックは、貨幣の導入によって所有物の蓄積が可能になったと指摘しました。貨幣は腐敗しないため、労働によって得たものを貨幣に変換することで、所有物を無制限に蓄積することができるようになります。

ロックの所有権理論は、資本主義の経済体制を正当化する理論的根拠となり、近代経済思想に大きな影響を与えました。

6.信託:ロックの政治思想における重要な概念

ロックの政治思想において、「信託」という概念は重要な役割を果たします。ロックは、政府の権力は国民から信託されたものであり、政府は国民の利益のためにその権力を行使する義務があると主張しました。

信託とは、ある人が他人のために財産や権限を管理することを指します。ロックは、政府と国民の関係を信託関係になぞらえ、政府は国民の自然権を保護するという信託を受けていると考えました。

もし政府が信託に違反し、国民の自然権を侵害した場合、国民は政府に抵抗する権利を持つとロックは主張しました。これは、政府の権力は無制限ではなく、国民の同意に基づいて制限されるべきであるという考え方を示しています。

ロックの信託概念は、近代立憲主義における重要な概念である「人民主権」や「法の支配」の基礎となりました。

以上、ロックの統治二論を深く理解するための背景知識として、彼が生きていた時代背景、社会契約説、自然権思想、抵抗権、所有権、そして信託概念について解説しました。これらの知識は、ロックの思想をより深く理解するために不可欠なものです。

Amazonで統治二論 の本を見る
読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

Leave a comment

0.0/5