## ロックの寛容についての書簡の原点
ロックの寛容論の背景
ジョン・ロック(1632-1704)の『寛容についての書簡』(原題:A Letter Concerning Toleration)は、1689年に匿名で出版されました。この書簡は、ロックの思想の中でも特に重要な位置を占めており、近代政治思想における宗教的寛容の概念確立に大きく貢献した作品として知られています。
執筆の直接的な動機
ロックがこの書簡を執筆した直接的な動機は、1685年にフランスで発布されたナントの勅令の廃止にあります。ナントの勅令は、1598年にアンリ4世によって発布され、フランス国内におけるユグノー(フランスのプロテスタント)の信仰の自由を認めたものでした。しかし、ルイ14世はこの勅令を廃止し、再びフランスをカトリックの単一国家にしようとしました。この弾圧によって、多くのユグノーがフランスから亡命することを余儀なくされました。
ロック自身の経験
ロック自身も、宗教的な対立によって苦難を経験していました。彼は、イングランドにおいて国教徒であるイギリス国教会と、ピューリタンや分離派などの非国教徒との間で激しい対立が続いていた時代に生きていました。ロック自身は、宗教的な自由を重視する立場から、非国教徒に一定の理解を示していました。しかし、当時のイングランドでは、非国教徒であることは政治的な権利を制限されることを意味しており、ロック自身もその影響を受けることになりました。
ネーデルランドへの亡命と執筆
ロックは、1683年にイングランド政府転覆の陰謀に関与した疑いをかけられ、ネーデルランドへ亡命しました。ネーデルランドは、当時ヨーロッパの中でも宗教的に最も寛容な国の一つであり、様々な宗派のキリスト教徒が共存していました。ロックは、ネーデルランドで宗教的な寛容が実際に機能している様子を目の当たりにし、自らの思想を深めていきました。そして、フランスにおけるナントの勅令廃止をきっかけに、『寛容についての書簡』を執筆し、匿名で出版しました。