## ロックの人間知性論の思想的背景
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17世紀イングランドの知的潮流
ロックが「人間知性論」を執筆した17世紀イングランドは、政治、宗教、科学の各分野で大きな変革が起きていた時代でした。
* **政治的には**、清教徒革命(1642-1651)と名誉革命(1688)を経て、絶対王政から議会政治へと移行する激動の時代でした。ロック自身も政治活動に関与しており、彼の思想は当時の政治状況に大きな影響を受けています。
* **宗教的には**、プロテスタントの中でも様々な宗派が生まれ、宗教的寛容が重要な課題となっていました。ロック自身はキリスト教徒でしたが、特定の宗派に偏らない寛容な立場をとっていました。
* **科学分野では**、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンといった学者たちの活躍により、それまでのアリストテレス的な自然観が覆され、近代科学が誕生しました。ロックもまた、当時の新しい科学的発見に関心を持ち、自身の哲学に反映させています。
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経験主義の台頭
「人間知性論」の中心的なテーマは、人間の知識の起源に関するものです。ロックは、理性よりも経験を重視する経験主義の立場をとり、人間の心は生まれたときは白紙の状態(タブラ・ラサ)であり、すべての知識は経験を通して後天的に獲得されると主張しました。
この経験主義は、当時の新しい科学的方法と密接に関連しています。すなわち、観察や実験を通して得られた経験的データに基づいて知識を構築していくという方法論は、ロックの経験主義と共通する点が多く見られます。
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デカルト哲学への批判
ロックの経験主義は、大陸合理主義の代表的な哲学者であるデカルトの思想への批判としても捉えることができます。デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という有名な命題に代表されるように、理性こそが確実な知識の源泉であると主張しました。
これに対してロックは、デカルトの生得観念説を批判し、人間は生まれながらにしていかなる観念も持っていないと主張しました。ロックは、すべての観念は経験から派生すると考え、感覚経験と内面的な反省を通して観念を獲得していくと説明しました。
これらの思想的背景を理解することで、ロックの「人間知性論」が、当時の社会状況や思想的潮流と深く関わっていることが分かります。