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ロックの人間知性論の原点

ロックの人間知性論の原点

ロックの出発点:スコラ哲学とデカルトへの批判

ジョン・ロックの『人間知性論』(1689年)は、経験主義哲学の礎を築いた記念碑的作品として知られています。ロックの思想は、当時の支配的な学問体系であったスコラ哲学への批判、そして、理性主義を代表するデカルト哲学への反論から生まれました。

スコラ哲学への批判:生得観念の否定

スコラ哲学は、アリストテレスの哲学をキリスト教神学と融合させた体系で、中世ヨーロッパの学問を支配していました。スコラ哲学では、「すべての物体は目的を持って運動する」というアリストテレスの目的論的自然観に基づき、世界は神によって創造され、一定の秩序と目的を持って存在すると考えられていました。また、人間の理性には、生まれながらにして神や道徳に関する真理が備わっているという「生得観念」の考え方が支持されていました。

ロックは、スコラ哲学のこのような教条主義的な側面を批判しました。彼は、人間が生まれながらにして持っている知識など存在せず、「白紙状態(タブラ・ラサ)」として生まれてくると主張しました。これは、人間の知識はすべて経験によって後天的に形成されるという、経験主義の根本的な立場を示しています。

デカルトへの批判:普遍的な理性への疑問

理性主義を代表する哲学者ルネ・デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」という命題を出発点として、人間の理性のみによって確確な知識に到達できると主張しました。デカルトは、数学的真理のように、人間の理性によって直観的に把握できる「明晰かつ判明な観念」こそが真の知識であると考えました。

ロックは、デカルトの理性中心主義的な立場にも疑問を呈しました。彼は、人間の理性には限界があり、すべての人々に共通する普遍的な理性など存在しないと主張しました。ロックにとって、人間の知識の源泉はあくまでも感覚経験であり、理性は経験によって得られた素材を整理し、判断するための道具にすぎないと考えました。

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