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レーニンの唯物論と経験批判論から学ぶ時代性

レーニンの唯物論と経験批判論から学ぶ時代性

レーニンの時代背景と「唯物論と経験批判論」の位置付け

レーニンの主著『唯物論と経験批判論』は、1908年から1909年にかけて執筆され、1909年に出版されました。当時、ロシア第一革命(1905年)の敗北後、ロシア社会民主労働党内部では、革命の今後の展望やマルクス主義の解釈をめぐり、激しい論争が巻き起こっていました。特に、ボグダーノフやルナチャルスキーらの一派は、マッハやアヴェナリウスの経験批判論の影響を受け、「神は死んだ」後の宗教的体験を重視するなど、マルクス主義の唯物論的認識論を修正しようとする動きを見せていました。

経験批判論への批判とレーニンの弁証法的唯物論

レーニンはこうした動きを、マルクス主義の修正主義として厳しく批判しました。レーニンは、『唯物論と経験批判論』において、マッハやアヴェナリウスの経験批判論を、客観的な物質世界を否定し、感覚経験のみを重視する主観的観念論の一種であると断定しました。レーニンによれば、感覚経験は客観的な物質世界の反映であり、物質世界を離れた感覚経験は存在し得ません。レーニンは、こうした唯物論的認識論に基づき、弁証法的唯物論こそが、自然と社会、歴史を理解するための唯一の正しい方法であると主張しました。

時代性を反映したレーニンの科学論

レーニンは、20世紀初頭の自然科学における新たな発見、特に物理学における革命的な進歩に注目しました。当時の物理学では、原子の構造や放射線の発見など、それまでの古典物理学では説明できない現象が次々と明らかになっていました。レーニンは、こうした科学の進歩を、物質の複雑性と運動法則の解明という観点から積極的に評価し、弁証法的唯物論の正しさを裏付けるものと見なしました。レーニンは、科学の発展は、人間の感覚では捉えきれない物質世界の深奥を明らかにし、弁証法的唯物論の理論を豊かにすると考えました。

党派性と哲学論争

レーニンの『唯物論と経験批判論』は、単なる哲学書ではなく、明確な政治的目的を持った著作でした。レーニンは、経験批判論の影響を受けた党内修正主義者たちを批判し、自らが率いるボルシェビキ派の思想的・組織的結束を固めようとしたのです。レーニンにとって、哲学上の論争は、革命運動の方向性を左右する重要な政治闘争の一環でした。レーニンは、哲学上の立場を明確にすることは、プロレタリアートの階級意識を高め、革命を勝利に導くために不可欠であると信じていました。

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