## ルソーの社会契約論の位置づけ
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啓蒙思想における位置づけ
ルソーの『社会契約論』(Du Contrat Social ou Principes du droit politique、1762年)は、ロックの『統治二論』(1689年)やモンテスキューの『法の精神』(1748年) と並び、18世紀の啓蒙思想を代表する政治思想書として位置づけられます。
啓蒙思想は、「理性」を重視し、理性による人間の解放を目指した思想運動でした。当時の人々は、封建社会の身分制度や宗教的権威による抑圧からの解放を渇望していました。ルソーは、人間は本来自由であるにもかかわらず、社会によって「鎖につながれている」と主張しました。そして、真の自由を獲得するためには、個人の自由を社会全体の幸福に結びつける必要があると考えました。
### 2.
社会契約論における位置づけ
社会契約論は、国家の起源や正当性を説明する理論の一つであり、国家は、個人の自由な合意に基づいて形成されたとする考え方です。ルソー以前にも、グロティウスやホッブズ、ロックといった思想家たちが社会契約論を展開していました。
ルソーの社会契約論は、これらの先行する社会契約論と比較しながら理解する必要があります。例えば、ホッブズは、自然状態における人間は「万人の万人に対する闘争」状態にあると想定し、国家は個人の安全を保障するために必要な「絶対的な主権者」であると主張しました。一方、ルソーは、自然状態における人間は、自己愛(amour de soi)と憐れみ(pitié)によって他者と平和的に共存できると考えました。
ルソーは、社会の形成と発展に伴い、私的所有の発生や不平等が拡大することで、人間は本来の自由を失っていくと論じました。そこで、真の自由を取り戻すために、人々は「社会契約」によって「一般意志」に基づく政治体制を構築する必要があると主張しました。
### 3.
フランス革命への影響
『社会契約論』は、出版当時こそ大きな反響を呼びませんでしたが、やがてフランス革命(1789年)の思想的支柱の一つとして位置づけられるようになりました。
ルソーの「一般意志」や「人民主権」といった概念は、フランス革命のスローガンとなった「自由・平等・博愛」の思想的基盤を提供しました。また、絶対王政を打倒し、共和制を樹立しようとする革命家たちに大きな影響を与えました。
ただし、ルソー自身は、暴力革命を肯定していたわけではありません。彼は、あくまでも「一般意志」に基づく合意による政治体制の変革を理想としていました。
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