## リースマンの孤独な大衆の対極
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個人主義を超えて:共同体と連帯の重要性
「孤独な大衆」が出版された1950年代は、アメリカ社会における個人主義の台頭とその帰結が大きな社会問題として認識され始めた時代でした。リースマンは、伝統的な価値観や共同体の絆が失われ、個人主義的な価値観が蔓延する中で、人々が内面的な空虚感や孤独を抱えやすくなっていると指摘しました。
リースマンの分析に対して、共同体や連帯の重要性を説き、「孤独な大衆」の対極に位置するような歴史的名著は、時代や文化圏を超えて多数存在します。
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共同体の重要性を説く古典:アリストテレスの「政治学」
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「人間はポリス(都市国家)的動物である」という言葉で有名なように、人間の本質は社会的な存在であり、共同体の中でこそ真の幸福を実現できると考えました。彼の主著である「政治学」では、理想的な国家体制や市民の徳、共同生活における正義などについて論じられています。
アリストテレスは、「政治学」の中で、人間は生まれながらにして社会的な存在であり、共同体の中で生活し、互いに協力し合うことで初めて自己実現が可能になると主張しました。彼は、家族や村落といった小規模な共同体から、ポリスというより大きな政治的な共同体まで、人間は様々なレベルの共同体に属し、それぞれの共同体において役割と責任を担うことで、自己の能力を発揮し、幸福な生活を送ることができると考えました。
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近代社会における共同体の再生:エミール・デュルケームの「社会分業論」
19世紀末のフランスの社会学者エミール・デュルケームは、近代社会における個人主義の台頭と伝統的な共同体の崩壊が、社会に新たな問題をもたらすと考えました。彼は、著書「社会分業論」の中で、近代社会における個人主義の進展は、伝統的な機械的連帯に代わる新たな有機的連帯を生み出すと主張しました。
デュルケームは、伝統的な社会では、人々は共通の価値観や信念に基づいて結びついており、これを「機械的連帯」と呼びました。一方、近代社会では、分業が進展し、人々はそれぞれ異なる役割や専門性を持つようになり、相互依存の関係が強まります。このような社会を結びつけるのは、共通の価値観ではなく、互いの役割と機能への依存に基づく「有機的連帯」です。
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共同体の再生への模索:その他の思想
上記以外にも、共同体の重要性を説く思想や哲学は数多く存在します。例えば、共同体的アナキズムは、国家や権力機構を否定し、自主的な協力と相互扶助に基づく共同体の形成を主張します。また、コミュニタリアニズムは、個人主義的な価値観を批判し、共同体への帰属意識や共通善を重視する社会のあり方を模索しています。
これらの思想は、時代や文脈は異なりますが、いずれも人間は社会的な存在であるという前提に立ち、個人主義的な価値観だけでは、真の幸福や社会の安定は実現できないと主張しています。