Skip to content Skip to footer

リストの政治経済学の国民的体系の発想

## リストの政治経済学の国民的体系の発想

###

リストの思想的背景

フリードリッヒ・リストは、1789年生まれのドイツの経済学者です。当時のドイツは、イギリスが先導する産業革命の影響を受け、国内産業がイギリス製品との競争にさらされ、経済的に苦境に立たされていました。リストは、このような状況を目の当たりにし、イギリスの自由貿易政策が、すでに産業革命で優位に立っているイギリスに有利に働く一方で、発展途上のドイツのような国には不利に働くことに気づきます。

###

国民経済の保護育成

リストは、アダム・スミスが提唱した自由貿易主義を批判し、発展途上の国は、国内産業を保護・育成するために、政府による積極的な介入が必要であると主張しました。彼は、自由貿易はあくまで最終的な理想であり、発展途上の国がイギリスのような先進国と対等に競争するためには、まずは自国の産業を保護し、競争力をつけなければならないと考えました。

具体的には、関税政策によって外国製品の輸入を制限したり、国内産業に対して補助金や融資などの優遇措置を与えることで、国内産業の成長を促進することを提案しました。

###

生産力の重視

リストは、一国の真の富は、貴金属の保有量ではなく、「生産力」にあると主張しました。生産力とは、労働力、資本、技術力、教育水準などを総合的に判断した、国全体としての生産能力を指します。 そして、リストは、生産力を向上させるためには、工業化が不可欠であると考えました。当時のドイツは農業国でしたが、リストは工業化こそが、生産力を飛躍的に向上させ、国民経済を発展させるための鍵であると信じていました。

###

国民的体系の意義

リストの主張は、「国民的体系」と呼ばれる独自の経済理論として体系化されました。これは、各国の置かれている歴史的、地理的条件を考慮した上で、それぞれの国にとって最適な経済政策を立てるべきだとする考え方です。リストは、自由貿易はあくまで最終的な理想であり、発展途上の国は、まず自国の経済力を強化し、先進国との競争に耐えうるだけの「国民経済」を形成することが重要であると説きました。

リストの思想は、当時のドイツだけでなく、アメリカや日本など、多くの後発工業国に影響を与え、それぞれの国の経済発展に貢献しました。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5