リストの政治経済学の国民的体系の対極
アダム・スミスの「国富論」
フリードリヒ・リストの「政治経済学の国民的体系」(1841年)は、アダム・スミスの「諸国民の富の性質と原因についての考察」(通称「国富論」、1776年)で提唱された自由貿易の経済理論に真っ向から対立するものでした。リストは、スミスの理論はイギリスの経済的優位性を正当化するために作られたものであり、後発国が同様の繁栄を達成するためには、自国の産業を保護する必要があると主張しました。
自由貿易と保護主義の対立
スミスは「国富論」の中で、自由貿易こそが国家の富を最大化する道であると論じました。彼は、国家がそれぞれ得意な分野に特化し、自由に貿易を行うことで、生産性と効率性が向上し、すべての国が利益を得ることができると主張しました。
一方、リストは、自由貿易は先進国にのみ有利であり、後発国は保護主義的な政策によって自国の産業を育成する必要があると主張しました。彼は、イギリス自身が保護主義によって経済発展を遂げたことを指摘し、後発国も同様の道を歩むべきだと訴えました。
経済思想史における位置づけ
スミスの「国富論」は古典派経済学の基礎を築き、その後の自由貿易主義の発展に大きな影響を与えました。一方、リストの「政治経済学の国民的体系」は、後発国の経済発展のあり方について重要な視点を提供し、19世紀後半から20世紀前半にかけて多くの国で採用された保護主義的な政策に影響を与えました。
両者の思想は、経済思想史において自由貿易と保護主義という対立軸を形成し、今日に至るまで議論の対象となっています。