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**リストの「政治経済学の国民的体系」の思想的背景**

## **リストの「政治経済学の国民的体系」の思想的背景**

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ドイツ歴史学派の影響

リストの思想は、アダム・スミスやデヴィッド・リカードなどが提唱した古典派経済学の自由貿易論に対する批判から生まれました。 リストは、フリードリヒ・リストの叔父にあたるカール・フリードリッヒ・ラインハルトや、その師であるアダム・ミュラーら、ドイツ歴史学派の思想に強い影響を受けています。

ドイツ歴史学派は、イギリス古典派経済学が普遍的な法則として提示した自由貿易論は、あくまで当時のイギリスの経済状況に適合した理論に過ぎないと考えました。彼らは、経済現象は歴史的・社会的な文脈の中で捉えるべきであり、普遍的な法則を見出すよりも、各国の歴史や文化に根ざした具体的な政策を重視しました。

リストもまた、イギリスがすでに工業的に発展した状況下で唱えられた自由貿易は、後発国であるドイツの経済発展を阻害すると考えました。彼は、ドイツがイギリスに対抗し、経済的に自立するためには、国内産業を保護し育成する保護貿易政策が必要であると主張しました。

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国民国家の形成と経済発展

リストが「政治経済学の国民的体系」を著した19世紀前半は、ドイツでは統一国家を目指した国民運動が高まりを見せていました。リストもまた、熱心な国民主義者であり、統一国家ドイツの建設を強く望んでいました。

彼は、経済発展こそが国家の独立と繁栄の基盤であると考え、その実現のために保護貿易政策が必要であると主張しました。リストにとって、経済学は単なる経済活動の分析ではなく、国家建設のための手段として位置づけられていました。

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生産力理論と経済発展段階論

リストは、国家の富の源泉を物質的な財の生産だけでなく、知識、技術、教育など、生産力を構成するあらゆる要素に求めました。彼は、自由貿易は後発国の物質的な資源を搾取するだけで、真の経済発展、すなわち生産力の向上には繋がらないと批判しました。

リストは、経済発展段階論を展開し、後発国は保護貿易政策によって国内産業を育成し、段階的に自由貿易へと移行すべきだと主張しました。

彼は、保護貿易はあくまで一時的な措置であり、最終的には自由貿易によって国際分業体制に参入することが重要であるとも述べています。

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