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ラ・ロシュフーコーの箴言録の光と影

## ラ・ロシュフーコーの箴言録の光と影

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人間の本性を鋭く見抜く「光」

ラ・ロシュフーコーの『箴言録』は、人間存在の深淵を容赦なく照らし出すことで知られています。華々しい宮廷社会に身を置きながら、その内側に渦巻く虚栄や利己心、欺瞞といったものを冷徹なまなざしで見つめ、簡潔で洗練された言葉で表現しました。

例えば、「我々は、自分が愛している時よりも、愛されたいと思っている時の方が、より多くのことを相手に要求する」という言葉は、恋愛感情の裏に潜む所有欲や承認欲求を鋭く指摘しています。また、「我々は、自分の欠点を知っている友人を持つことはできるが、自分の長所を知っている友人は決して持てない」という言葉は、人間関係における嫉妬や劣等感の複雑な働きを浮き彫りにしています。

このように、『箴言録』は、人間の本質を鋭く見抜く「光」を放っています。それは時に残酷なまでに真実を突きつけ、読者を深く考えさせる力を持っています。

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「影」に覆われた人間の苦悩

一方で、『箴言録』は、人間の弱さや愚かさを容赦なく描き出すことで、読者に暗い影を落とす側面も持ち合わせています。それは、人間の行動のほとんどが自己愛や利己心といった「影」の部分に支配されているという、ラ・ロシュフーコー独自の視点が色濃く反映されているためです。

「我々の徳は、たいていの場合、偽装された悪徳にすぎない」という言葉は、一見すると高潔に見える行為の裏にさえ、自己保身や虚栄心が潜んでいる可能性を示唆しています。また、「我々は、愛、友情、忠誠心といった美しい名前をつけて、自分の利益になるように仕向けただけのものにすぎない」という言葉は、人間関係における純粋さや無償の愛を疑わせる、シニカルな視点を提示しています。

このように、『箴言録』は、人間存在の根底に流れる「影」の部分を容赦なく描き出すことで、読者に深い絶望感や虚無感を抱かせることがあります。それは、人間の本質に対する諦観と、理想と現実のギャップに対する苦悩を如実に表していると言えるでしょう。

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