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ラ・メトリの人間機械論に関連する歴史上の事件

## ラ・メトリの人間機械論に関連する歴史上の事件

### 1637年: デカルトの『省察』出版と心身二元論

ラ・メトリの人間機械論を語る上で欠かせないのが、デカルトの心身二元論の影響です。1637年に出版されたデカルトの『省察』では、人間の精神と身体は全く異なる実体であり、精神は身体の影響を受けずに独立して存在すると主張されました。これは、当時のキリスト教的な世界観において支配的であった、魂が肉体を支配するという考え方に変革をもたらしました。

デカルトは、動物の行動は機械のように purely 機械的な原理によって説明できると考えました。しかし、人間には精神があり、それによって動物とは異なる高次な思考や判断が可能になるとしました。

このデカルトの二元論は、ラ・メトリに大きな影響を与えます。ラ・メトリは、デカルトの機械論的な身体観を受け継ぎつつも、精神と身体の厳格な分離に疑問を呈しました。

### 1739年: ラ・メトリ、『自然の治療法』出版と唯物論的医学観の萌芽

ラ・メトリは、医学の分野においても唯物論的な視点を持ち込みました。1739年に出版された『自然の治療法』の中で、ラ・メトリは、人間の身体は自己修復能力を持つ機械のようなものであり、病気は機械の故障と同じように、自然法則に従って発生すると論じました。

これは、当時の医学界において主流であった、病気は神の怒りや不道徳な行為に対する罰であるとする宗教的な考え方に真っ向から対立するものでした。ラ・メトリは、経験と観察に基づいた医学の必要性を訴え、人間の身体を機械論的に捉えることで、より効果的な治療が可能になると考えました。

### 1745年: 『自然史』出版とセンセーショナルな人間機械論の登場

ラ・メトリの最も有名な著作である『人間機械論』は、1748年に匿名で出版されました。この本の中で、ラ・メトリは、人間は精神を含め、完全に物質によって構成された機械であると主張し、ヨーロッパ中に大きな衝撃を与えました。

ラ・メトリは、人間の思考、感情、意識といった精神活動さえも、脳内の物質的なプロセスによって説明できるとしました。これは、デカルトが人間だけに認めていた精神の特権性を否定し、人間と動物の間に本質的な違いはないとする、当時としては極めて過激な思想でした。

この著作は、教会や大学から激しい非難を浴び、発禁処分を受けることになります。ラ・メトリは、自らの命を守るためにフランスから亡命することを余儀なくされ、プロイセン王国のフリードリヒ2世の庇護を受けることになります。

### 1748年以降: 人間機械論の影響と近代思想への道

ラ・メトリの『人間機械論』は、出版当時こそ激しい反発を受けましたが、その後のヨーロッパ思想に大きな影響を与えました。特に、フランス啓蒙思想家たちは、ラ・メトリの唯物論的な人間観を高く評価し、彼らの思想の重要な基盤となりました。

ディドロやダランベールらが中心となって編纂された百科全書においても、ラ・メトリの思想は大きく取り上げられました。百科全書は、当時のあらゆる知識を網羅することを目的とした巨大なプロジェクトであり、ラ・メトリの思想が広く知られるきっかけとなりました。

ラ・メトリの唯物論は、人間の精神活動を含めたあらゆる現象を、物質とその運動によって説明しようとする試みであり、それは後の近代科学の発展にも大きな影響を与えました。彼の思想は、現代の神経科学や人工知能研究などにも通じる先駆的なものであったと言えるでしょう。

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