ラスキの国家論の選択
ラスキにおける国家論の変遷
ハロルド・ラスキ(Harold Laski, 1893-1950)は、イギリスの政治学者、思想家であり、初期には多元的国家論、後期には階級闘争論に基づく社会主義的な国家論を展開しました。
初期多元的国家論における「選択」
初期のラスキは、国家の権力を制限し、個人の自由と社会の多様性を保障することに重点を置く多元的国家論を主張していました。1925年刊行の『政治における文法』(A Grammar of Politics)はこの時期の代表作であり、国家は社会を構成する様々な団体(教会、労働組合、家族など)の一つに過ぎないと捉え、国家の権力はこれらの団体との調整を通じて制限されるべきだと論じました。
後期社会主義的国家論における「選択」
1930年代に入ると、世界恐慌の影響やファシズムの台頭を背景に、ラスキの思想は大きく変化します。彼はマルクス主義の影響を強め、資本主義社会における階級対立を重視するようになり、国家を支配階級が被支配階級を搾取するための道具とみなすようになりました。この時期のラスキは、資本主義体制を転覆し、社会主義社会を実現するために、労働者階級による国家権力の掌握が必要だと主張しました。
ラスキの選択における歴史的背景
ラスキの国家論の変遷は、20世紀前半の激動する世界情勢と無関係ではありません。第一次世界大戦後の社会不安、世界恐慌、ファシズムの台頭といった時代背景は、ラスキに大きな影響を与え、彼の国家観を大きく変容させました。