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ラスキの国家論の原点

ラスキの国家論の原点

ラスキの思想形成と国家論への道

ハロルド・ラスキ(1893-1950)は、イギリスの政治学者、経済学者であり、20世紀前半を代表する思想家の一人です。彼は、国家の役割と民主主義のあり方について独自の理論を展開し、後世に大きな影響を与えました。彼の国家論は、その生涯における様々な経験や思想的影響を背景に形成されたものです。

まず、彼の出自と生い立ちに触れておく必要があります。裕福なユダヤ人家庭に生まれたラスキは、幼い頃から恵まれた教育環境の中で育ちました。オックスフォード大学で歴史学を学び、その後アメリカに渡ってハーバード大学で教鞭をとるなど、国際的な経験を積みました。このことが、彼の視野を広げ、多様な文化や思想に触れる機会を与えたことは間違いありません。

初期のラスキは、多元的国家論を唱え、国家の権力を制限することの重要性を強調していました。これは、彼が深く傾倒していたイギリスの思想家、ジョン・スチュアート・ミルの影響を強く受けています。ミルは、個人の自由を最大限に尊重し、国家による干渉を最小限に抑えるべきだとする自由主義の立場から、国家の権力には限界があることを主張しました。ラスキもまた、国家が個人の自由を侵害する可能性を常に意識し、権力の分散と市民社会の活力を重視する多元主義的な国家観を抱くようになりました。

しかし、1930年代に入ると、世界恐慌の発生やファシズムの台頭を目の当たりにする中で、ラスキの国家観は大きく変化していきます。彼は、資本主義の矛盾が深刻化する中で、個人の自由を守るためには、国家による積極的な介入が必要不可欠であると考えるようになりました。そして、社会主義思想に共鳴し、国家が社会正義を実現するための手段として機能すべきだと主張するようになります。

特に、マルクス主義の影響を受けたラスキは、国家を支配階級が被支配階級を搾取するための道具と捉え、真の民主主義を実現するためには、労働者階級による国家権力の掌握が必要であると主張しました。彼は、民主主義を単なる手続き論として捉えるのではなく、経済的な平等や社会正義の実現と不可分に結びついたものとして理解しました。

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