ラスキの国家論の力
ラスキの国家論における「力」の位置づけ
ハロルド・ラスキは、初期の多元的国家論から後期のマルクス主義的国家論へと思想を展開させていきましたが、一貫して「力」の問題を国家論の中心に据えていました。ラスキは、初期においては国家の強制力を相対化し、諸団体の自由と自治を重視する多元的国家論を主張していました。しかし、世界恐慌やファシズムの台頭を経験する中で、資本主義社会における経済的不平等が、政治的な支配関係を生み出し、真の自由と平等を阻害しているという認識を深めていきました。
「力」の多義性と変遷
ラスキは、「力」を単なる物理的な強制力としてではなく、より広義に、他者の行動を自分の意志に従わせる能力として捉えました。初期においては、国家、教会、労働組合、企業など、社会には多様な集団が存在し、それぞれが独自の「力」を持っていると考えたのです。そして、これらの集団が相互に均衡を保つことで、個人の自由が保障されるとしました。
経済的権力と政治的権力の連関
後期になると、ラスキはマルクス主義の影響を強く受け、資本主義社会における「力」の偏在に注目するようになりました。具体的には、生産手段を私有する資本家階級が、経済的な「力」を独占し、それを背景に国家を支配し、自分たちに有利なように政治を行使しているという現実を指摘したのです。
「力」の倫理的側面
ラスキは、「力」を行使する際には、倫理的な正当性が不可欠であると主張しました。真の「力」は、単なる支配ではなく、共同体の共通善を実現するために用いられるべきだと考えたのです。