ラスキの国家論の位置づけ
ラスキにおける国家論の変遷
ラスキは、初期においては、イギリスの理想主義の影響を受け、国家を倫理的・理想的な存在として捉えていました。この時期の代表作である『国家の哲学的理論』(1916年)では、国家を個人の権利実現のための積極的な媒介者として位置づけ、個人と国家との調和を強調しました。
多元主義国家論への転換
しかし、第一次世界大戦を経て、国家に対する見解を大きく転換させます。大戦の惨禍を目の当たりにし、国家による権力の集中が戦争や抑圧をもたらす危険性を痛感したためです。
国家の権力に対する批判
この時期のラスキは、国家を「権力のための権力」として捉え、その強大な権力が個人の自由や権利を脅かす可能性を強く警戒しました。特に、国家が特定の階級や集団の利益のために利用される危険性を指摘し、権力の分散と個人の自由の保障を重視する多元主義的な国家論を展開しました。
『自由の condizioni』における国家論
1930年代に入ると、ファシズムの台頭を背景に、自由主義の擁護者としての立場を明確化します。1940年に刊行された『自由の condizioni』では、計画経済と自由主義の調和を模索し、国家による経済活動への介入の必要性を認めつつも、それが個人の自由を抑圧することのないよう、厳格な歯止めをかける必要性を訴えました。
晩年の思想
晩年には、国家に対する幻滅を深め、権力分立や民主主義といった制度による国家権力の抑制にも限界を感じていたようです。個人の自発的な協調や共同体に基づく社会の再建を構想するようになり、国家中心主義的な思想から距離を置くようになりました。
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