## ラシーヌのフェードルの原点
ギリシャ悲劇におけるフェードラの神話
ラシーヌの「フェードル」の物語は、ギリシャ神話に深く根ざしています。 特に、エウリピデスとセネカという二人の古代ギリシャ・ローマの劇作家が、それぞれ紀元前5世紀と1世紀に、フェードラの物語を悲劇として dramaturgy 化しています。
エウリピデスの「ヒッポリュトス」
エウリピデスの「ヒッポリュトス」では、アテーナイの王妃フェードラが、夫テーセウスの息子で、貞潔を重んじるヒッポリュトスに恋をします。 彼女は自分の欲望に苦しみ、それを隠そうとしますが、乳母の介入により、ヒッポリュトスに恋心が露呈してしまいます。 ヒッポリュトスは彼女の愛を拒絶し、フェードラは恥辱と怒りから、彼に無実の罪を着せて自殺します。 テーセウスはフェードラの嘘を信じ、神々にヒッポリュトスの死を祈ります。 ヒッポリュトスは父の呪いによって命を落としますが、死の間際に真実が明らかになります。
セネカの「フェードラ」
セネカの「フェードラ」も、フェードラが継息子ヒッポリュトスに恋をするという、基本的な筋書きはエウリピデスと共通しています。 しかしセネカは、フェードラの情欲と苦悩をより直接的に描き、彼女の葛藤により焦点を当てています。 セネカ版では、フェードラは自らヒッポリュトスに愛を告白し、彼の拒絶に激しく苦しみます。 彼女は最終的にヒッポリュトスを中傷して自殺しますが、その行動はエウリピデス版よりも計算高く、復讐心に満ちています。
ラシーヌの独自性
ラシーヌは、これらの先行作品を土台としながらも、独自の解釈を加え、「フェードル」を単なる古代神話の翻案を超えた、深みのある心理劇へと昇華させています。 彼は特に、フェードラの内面的な葛藤、罪の意識、運命に対する無力感などを深く掘り下げ、17世紀フランスの古典主義の美学と倫理観とを融合させています。