# ラサールの労働者綱領を深く理解するための背景知識
1.フェルディナント・ラサールとその時代
フェルディナント・ラサール(1825-1864)は、19世紀ドイツの思想家で、社会主義運動の先駆者の一人として知られています。彼はプロイセン王国(現在のドイツの一部)で、ユダヤ系の裕福な家庭に生まれ、哲学や歴史、法律などを学びました。当時のドイツは、産業革命の影響を受け、急速な経済成長と社会変革を経験していました。しかし、その一方で、貧富の差の拡大や労働者の貧困などの社会問題も深刻化していました。
ラサールは、このような社会状況を目の当たりにし、労働者の権利擁護と社会改革の必要性を強く認識しました。彼は、マルクス主義とは異なる独自の社会主義理論を展開し、「国家社会主義」と呼ばれることもあります。ラサールは、国家の積極的な介入によって労働者の生活向上と社会の進歩を実現できると考えていました。
2.19世紀ドイツの社会状況
19世紀のドイツは、産業革命の進行に伴い、経済構造や社会構造が大きく変化しました。工場制機械工業の発展は、都市への人口集中と労働者階級の形成を促しました。しかし、労働者の多くは劣悪な労働環境と低賃金に苦しめられていました。
当時のドイツは、絶対主義的なプロイセン王国を中心とした政治体制下にありました。労働者の権利は制限されており、労働組合の結成も禁止されていました。このような状況下で、労働者の不満は高まり、社会不安が増大していました。
3.当時の労働運動
19世紀半ばのドイツでは、労働者の権利向上を求める運動が徐々に広がりを見せていました。しかし、労働運動は、まだ組織化されておらず、散発的な抵抗運動にとどまっていました。
ラサールは、労働者の組織化と政治的な権利獲得の必要性を訴え、1863年にはドイツ初の労働者政党である「全ドイツ労働者協会」を結成しました。この協会は、労働者の普通選挙権獲得を主要な目標として掲げていました。
4.ラサールの思想
ラサールは、ヘーゲル哲学の影響を受け、国家を社会の進歩を実現するための重要な主体と捉えていました。彼は、国家が積極的に介入することで、労働者の生活向上と社会の不平等を解消できると考えていました。
ラサールは、労働者が生産手段を所有する社会主義ではなく、国家による生産手段の管理と労働者への分配を主張しました。これは、マルクス主義とは異なる点であり、「国家社会主義」と呼ばれる所以でもあります。
ラサールは、労働者の政治参加の重要性を強調し、普通選挙権の獲得を労働運動の主要な目標として掲げました。彼は、労働者が政治的な権利を獲得することで、国家に影響を与え、社会改革を実現できると考えていました。
5.労働者綱領の内容
1862年に発表された「労働者綱領」は、ラサールの社会主義思想を具体的に示したものです。この綱領では、労働者の経済的、政治的な権利の獲得が訴えられています。
主な内容としては、普通選挙権の獲得、国家による生産組合の設立、労働者への利益分配などが挙げられます。ラサールは、国家による生産組合の設立によって、労働者が生産手段を間接的に所有し、資本家からの搾取をなくすことができると考えていました。
労働者綱領は、当時のドイツ労働運動に大きな影響を与え、全ドイツ労働者協会の綱領としても採用されました。
6.ラサールとマルクス
ラサールは、マルクスとも交流がありましたが、両者の社会主義理論には相違点もありました。マルクスは、国家を資本家階級の支配のための道具とみなし、国家による社会主義には否定的でした。
マルクスは、労働者階級自身が革命によって国家権力を掌握し、生産手段を共有する社会主義の実現を目指していました。一方、ラサールは、国家の積極的な役割を重視し、国家による社会改革を主張しました。
ラサールとマルクスの思想的な対立は、後のドイツ社会主義運動にも影響を与え、社会主義運動内部での分裂の一因となりました。
7.労働者綱領の影響
ラサールの労働者綱領は、ドイツの労働運動に大きな影響を与え、労働者の政治意識の向上と組織化に貢献しました。普通選挙権の要求は、後のドイツ社会主義運動においても重要なテーマとなり、1918年のドイツ革命によって実現されました。
また、国家による社会福祉政策の導入にも、ラサールの思想が一定の影響を与えたと考えられています。
しかし、ラサールの国家社会主義は、国家への依存を強めるという批判も受けてきました。マルクス主義者は、ラサールの思想を「国家資本主義」と批判し、真の社会主義の実現には国家権力の打破が必要だと主張しました。
ラサールの労働者綱領は、その後のドイツ社会主義運動に大きな影響を与えただけでなく、現代の社会福祉政策にも通じる問題提起を含んでいます。
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