## ヤスパースの理性と実存の表現
理性と実存の対立
ヤスパースは、人間存在を理解する上で、「理性」と「実存」という二つの根本的な側面を対比的に提示します。彼によれば、理性を用いた客観的な認識は、世界を普遍的な法則に基づいて理解しようとするものであり、科学や論理的な思考などがその代表例です。一方で、実存は、そのような客観的な認識を超えた、個々人が主観的に経験する生の深淵を指します。
限界状況における実存の覚醒
ヤスパースは、我々が日常生活においては、客観的な世界の中で合理性や有用性を追求し、「実存」を覆い隠してしまっていると考えます。しかし、死や苦しみ、罪、責任といった「限界状況」に直面したとき、我々は理性の限界を痛感し、不安や絶望といった実存的な感情に襲われます。このような実存的な危機に直面することで、我々ははじめて、客観的な世界を超えた「実存」を意識するようになるのです。
超越者との交わり
ヤスパースは、実存は「超越者」との交わりによって開かれると考えます。超越者とは、神や仏といった具体的な宗教的な存在ではなく、我々を存在へと呼びかける根源的な謎を指します。理性では捉えきれない超越者との対峙において、我々は有限な存在であることを自覚し、同時に、無限の可能性を秘めた存在であることをも認識するのです。
暗号としての実存的表現
実存は、理性的な言語によって完全に表現することはできません。なぜなら、実存は客観的な概念ではなく、個々人が経験する主観的な生の深淵だからです。そこでヤスパースは、「暗号」という概念を用いて、実存の表現を試みます。暗号とは、直接的な意味ではなく、解釈を通して理解される表現形式です。彼は、哲学や文学、芸術といった表現活動の中に、実存を間接的に表現する「暗号」を見出そうとします。