## モームの「月と六ペンス」とアートとの関係
「月と六ペンス」における芸術の定義
モームは作中、明確な「芸術」の定義を与えていません。読者は登場人物たちの言動や、彼らを取り巻く状況を通して、芸術の意味をそれぞれに解釈するよう促されます。
ストリックランドと「芸術への衝動」
主人公のチャールズ・ストリックランドは、それまでの安定した生活を捨てて、絵画制作に没頭する道を選びます。彼は芸術への激しい衝動に突き動かされ、貧困や孤独、周囲の非難にも屈することなく、創作活動を続けます。
ストリックランドにとって芸術は、自己表現の手段であると同時に、彼自身の存在意義そのものでした。彼は完成した作品でさえ容易に手放し、時には破壊することさえ厭いませんでした。それは彼にとって、芸術作品は自己表現の「結果」ではなく、「過程」そのものだったことを示唆しています。
周囲の人物と芸術に対するスタンス
ストリックランドを取り巻く人々は、彼の芸術に対する姿勢に対して様々な反応を示します。
* ストリックランドの妻は、夫の芸術への傾倒を理解できず、彼の行動を「狂気」と断り、彼を見捨てます。
* 画家のダーク・ストルーブは、ストリックランドの才能を見抜き、彼を無償で支援しますが、最終的にはストリックランドの才能に嫉妬し、彼を拒絶します。
* ストリックランドを献身的に支える女性ブランシュは、彼を経済的に支え、彼の創作活動を献身的に支えますが、最終的にはストリックランドによって不幸な運命を辿ります。
これらの登場人物たちの反応は、芸術に対する一般的な価値観の対立を象徴しています。
「月と六ペンス」における芸術と社会の対立
「月と六ペンス」は、芸術と社会の対立を描いた作品として解釈することもできます。ストリックランドは、社会的な成功や物質的な豊福には全く関心を示さず、自身の内なる衝動に従って芸術を追求します。
彼の生き方は、当時の一般的な価値観から大きく逸脱しており、周囲の人々からは理解されず、しばしば非難の対象となります。
「月と六ペンス」における芸術の評価
モームは、作中でストリックランドの芸術に対する明確な評価を与えていません。ストリックランドの作品は、一部の人々からは高く評価されますが、一方で多くの人々からは理解されず、無視されます。
これは、芸術の価値は時代や社会、そして個人の価値観によって大きく異なることを示唆しています。