モンテスキューの法の精神の思想的背景
1.歴史的背景
モンテスキューが『法の精神』を著したのは1748年、フランスでは絶対王政が頂点を極めていたブルボン王朝時代でした。当時のフランス社会は、国王ルイ14世の「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、国王個人にすべての権力が集中していました。貴族階級は特権を享受する一方で政治の実権からは遠ざけられ、市民階級は経済力を増しながらも政治参加の道を閉ざされていました。
2.思想的背景
モンテスキューの思想に大きな影響を与えたのが、イギリスの政治体制とロックの思想です。モンテスキューはイギリス滞在中に名誉革命後のイギリスを目の当たりにし、権力が国王、議会、司法の三権に分立し、互いに抑制しあうことで、一方が専制的な権力を持つことを防いでいることを高く評価しました。
また、ロックの『統治二論』からは、自然権に基づく社会契約説や抵抗権の概念、そして立法権が最高の権力を持つべきという考え方を吸収し、自身の思想の根幹を形成しました。
3.古典思想の影響
モンテスキューは古代ギリシャ・ローマの政治思想からも影響を受けています。特に、共和政ローマの政治制度や歴史に関する知識は、『法の精神』の中で頻繁に言及され、政治体制の分析や考察に活用されています。
例えば、共和政ローマにおける執政官、元老院、民会の三つの機関の権力分担は、モンテスキューの三権分立論の着想の源泉の一つと考えられています。
4.経験主義的立場
モンテスキューは、普遍的な自然法の存在を認めつつも、個々の社会の具体的な歴史、風土、慣習といった要素が法や政治制度に大きな影響を与えると考えました。
『法の精神』では、世界各地の様々な法や政治制度を比較分析し、それぞれの社会の特殊性を重視する視点を提示しています。これは、当時の啓蒙思想家の多くが普遍的な理性に基づいて理想的な社会を構想しようとしたこととは対照的な、モンテスキューの思想の特徴と言えるでしょう。