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モンテスキューのローマ人盛衰原因論の発想

## モンテスキューのローマ人盛衰原因論の発想

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共和政の理念と現実の相違

モンテスキューは、古代ローマの共和政を理想的な政治体制として高く評価していました。彼は、共和政期ローマの成功の鍵を、
* **徳** (vertue)
* **法の支配**
* **自由**

という三つの要素が有機的に結びついていたことだと考えました。

しかし、現実のローマ社会は共和政末期に向けて、これらの理念から次第に乖離していくことになります。モンテスキューは、この理念と現実の乖離こそが、ローマ衰退の原因であると分析しました。

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ローマ衰退の要因

モンテスキューは具体的なローマ衰退の要因として、以下のような点を指摘しました。

* **征服戦争の長期化**: 度重なる征服戦争の勝利は、ローマにもたらした領土の拡大と奴隷の流入によって、市民の奢侈を招き、軍事的な規律を緩ませ、共和政の理念であった「徳」を腐敗させたと考えました。
* **政治腐敗の蔓延**: 共和政末期には、権力闘争の激化や政治モラルの低下、そして富の集中といった問題が深刻化し、共和政を支えるはずであった「法の支配」が形骸化していったと分析しました。
* **市民の自由の喪失**: 独裁官や護民官といった強大な権力を持つ指導者の登場は、市民の政治参加を阻害し、「自由」の概念を揺るがすものであったと捉えました。

モンテスキューはこれらの要因が複雑に絡み合い、ローマ共和政の崩壊、そして帝政への移行を招いたと論じました。

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歴史から学ぶべき教訓

モンテスキューは、単にローマの歴史を叙述することに留まらず、その盛衰から現代社会に対する教訓を導き出そうとしました。彼は、ローマの興隆と衰退の過程を分析することで、自らが理想とする政治体制である「法の精神」に基づいた政治を実現するための指針を見出そうとしたのです。

具体的には、権力分立の必要性や法の支配の重要性を説き、政治腐敗や自由の喪失の危険性を警告しました。彼はローマの歴史を反面教師として、現代社会が陥るべきではない道を示したと言えるでしょう。

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