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モンテスキューのローマ人盛衰原因論の構成

モンテスキューのローマ人盛衰原因論の構成

第一章 ローマの建国について

この章では、モンテスキューはローマ建国初期のロムルスとレムスの伝説から、王政の終焉までを扱っています。彼は、ローマ人が建国当初から持ち合わせていた質実剛健さ、勇敢さ、そして法を重んじる精神が、ローマの隆盛の基礎を築いたと述べています。また、王政期のローマにおいては、王権が制限されており、貴族や平民といった異なる身分のバランスが保たれていたことが、ローマの安定に繋がっていたと分析しています。

第二章 共和政ローマの征服について

この章では、共和政に移行したローマが、いかにしてイタリア半島を征服し、地中海世界へと勢力を拡大していったのかを考察しています。モンテスキューは、ローマの軍事的成功の要因として、厳しい訓練を受けた市民兵の強靭さ、優れた戦略と戦術、そして征服地に対する寛容な政策を挙げています。特に、ローマが征服した都市や民族に対して、ローマ市民権の付与や自治権の容認といった懐柔策を講じたことが、広大な領域を支配する上で効果的であったと論じています。

第三章 ローマの衰退の原因について

この章では、共和政末期から帝政初期にかけて、ローマがどのように衰退していったのかを分析しています。モンテスキューは、ローマの衰退の原因として、領土の拡大に伴う政治腐敗、奢侈と享楽の蔓延、そして軍隊の私兵化などを挙げています。特に、グラックス兄弟の改革に端を発する内乱の勃発、マリウスやスッラといった将軍による独裁権力の掌握、そしてカエサルによる共和政の終焉といった一連の政治的混乱が、ローマを衰退へと導いたと主張しています。

第四章 ローマ帝国の滅亡について

この章では、帝政ローマが衰退を続け、最終的にゲルマン民族の侵入によって滅亡するまでの過程を辿っています。モンテスキューは、ローマ帝国の滅亡の原因として、コンスタンティヌス大帝によるキリスト教の公認、蛮族の傭兵化、そして行政機構の肥大化などを指摘しています。特に、キリスト教の普及によってローマ人の伝統的な価値観や道徳観が衰退し、軍事力や政治力が弱体化したことが、帝国の滅亡を決定づけたと論じています。

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