モンテスキューのローマ人盛衰原因論の思考の枠組み
ローマ繁栄の原因
モンテスキューは、ローマの建国当初から共和政期にかけての繁栄の要因を以下のように分析しています。
* **優れた立法と制度:** ローマは建国当初から優れた法制度を有しており、特に「十二表法」は貴族と平民の政治的平等を実現する上で重要な役割を果たしました。また、執政官や元老院といった政治機構も、権力の集中を防ぎ、政治的安定に貢献しました。
* **軍事力の重視:** ローマは常に軍事力を重視し、領土の拡大と安全保障に努めました。軍隊の規律は厳格で、兵士たちは祖国への忠誠心と勇気に溢れていました。
* **質素で勤勉な国民性:** ローマ人は建国以来、質素で勤勉な生活を美徳としてきました。贅沢を戒め、農業や商業に励むことで、国家の基盤を築きました。
* **政治的自由:** 共和政ローマでは、貴族と平民が政治に参加し、互いに牽制し合うことで、政治的腐敗を防ぎ、活力を維持していました。
ローマ衰退の原因
モンテスキューは、共和政ローマの衰退と帝政への移行、そして帝国の滅亡の原因を以下のように分析しています。
* **領土の拡大とそれに伴う腐敗:** 領土の拡大はローマに莫大な富と権力をもたらしましたが、同時に政治的腐敗を招きました。征服地からの安い穀物や奴隷の流入は、ローマ市民の農業意欲や勤労意欲を低下させました。
* **共和政の理念の喪失:** 富と権力の集中は、貴族の間での権力闘争を激化させ、共和政の理念が失われていきました。市民は政治に関心を失い、軍事指導者への依存を深めていきました。
* **軍隊の変質:** かつては市民によって構成されていた軍隊は、職業軍人へと変質していきました。彼らはローマへの忠誠心よりも、自分たちの利益を優先するようになり、政治への介入を繰り返しました。
* **キリスト教の影響:** モンテスキューは、キリスト教の普及がローマ人の軍事的な精神を衰退させたと考えています。キリスト教の平和主義的な教えは、ローマ人が伝統的に持っていた武勇や名誉心を弱体化させたと彼は主張しました。
* **蛮族の侵入:** 衰退したローマ帝国は、ゲルマン民族などの蛮族の侵入を防ぐことができませんでした。度重なる侵入は帝国の経済を疲弊させ、最終的に西ローマ帝国は滅亡へと至りました。
モンテスキューの史観
モンテスキューは、歴史を単なる出来事の羅列ではなく、そこに法則性や因果関係を見出すことで、現代社会への教訓を引き出そうとしました。彼はローマの興隆と衰退を分析することで、政治体制の重要性、腐敗の危険性、そして歴史から学ぶことの大切さを強調しました。